北とぴあ国際音楽祭 2024 モーツァルト 皇帝ティートの慈悲 K.621

 北とぴあ国際音楽祭のフィナーレとなる寺神戸亮、レ・ボレアードによるバロック・オペラ、古典主義オペラは、モーツァルト最後のオペラ「皇帝ティートの慈悲」K.621であった。モーツァルト生誕250年記念の2006年、二期会がペーター・コンヴィチュニー(フランツ・コンヴィチュニーの息子)演出で上演してから18年後の上演となった。(29日 北とぴあ さくらホール)

 今回は、寺神戸の弾き振りはなく、指揮中心となった。ティートにルーフス・ミュラー、正式にティートの皇后となったヴィテッリアにロベルタ・マレリ、側近のセストにはガイア・ペトローネ、セストの友人、アンニオには高橋幸恵、セストの妹でアンニオの妻となったセルヴィーリアには雨傘佳奈、親衛隊長ブブリオには大山大輔、大山による演出の上演となった。

 セミ・オペラ形式とはいえ、歌手たちの実力の素晴らしさは言うまでもない。ミュラーは、マリア・ジョアン・ピレシュとのコンサートでも素晴らしい歌唱を見せてくれたことを思い出す。マレリは、ティートが正式に皇后に迎えることとなったのに、ティートへの反乱・暗殺を企てたことへの苦しみなどを見事に表現した。ヴィテッリアから反乱・暗殺を唆され、全てを認めた上で、罪を償うものの、最後は許されるセスト、ペトローネが見事に演じた。高橋、雨傘も見事な歌唱、表現力を見せた。大山も歌唱・演技・演出で見事な成果を上げた。

 2025年は、ヘンデル「ロデリンタ」上演が決まった。どんな舞台・歌手陣になるかも楽しみである。北とぴあ国際音楽祭は、北区長がやまだ加奈子氏になっても、上演が続くことが望ましい。ただ、何でもムダだからなくすようなことは止めてほしい。必要なものは残す。それだけを心掛けてほしい。バロック・オペラなどの上演を続けるにあたり、寄付などを募っていくことは重要である。

 北とぴあの施設全体について言及すれば、カフェ・レストランがなくなったことが気にかかる。そろそろ、どこか入ってもらえないかと感ずる。ホール近くのカフェ・レストランがあることで、食事をしたり、コーヒー・お菓子を食べたりして一服できるため、こうした施設を作ってほしい。できれば、施設全体の改修も視野に入れてほしい。

ニューイヤーコンサート 能登半島地震

 2024年は、元日の能登半島地震で、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤー・コンサートの放送が6日になった。それでも、第66回 NHKニューイヤー・オペラコンサートは予定通りだった。

 ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤー・コンサートは、クリスティアン・ティーレマンが登場、極上のひと時だった。今年から、ベルリン国立歌劇場音楽監督に就任、ベルリンでの活躍が期待される。

 NHKニューイヤーオペラコンサートは、オペラの場面を重視した構成で、バロック・オペラ、ヘンデル「ジュリオ・チェーザレ(ジュリアス・シーザー)」に始まり、モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」フィナーレ、ヘンデル オラトリオ「メサイア」からハレルヤ・コーラスで締めくくった。見ものは、ロシア・オペラの名作、ムソルグスキー「ボリス・ゴドノフ」から戴冠式の場、ボリスのモノローグだった。幼いディミトリー皇子を殺害して、ロシア皇帝になったボリス、皇子を殺して帝位についたボリスが、自らの罪に苦しむ姿を描いていた。

 ただ、2024年も抽選形式によるもので、従来通り、有料チケットを前売りして、来場できるようにしてほしかった。まだ、コロナだろうか。

 新年を迎えた矢先、能登半島地震が起こり、多くの犠牲者が出た。クラシック音楽の世界でも、被災者に義援金を送るための募金が活発化している。改めて、被災者の方々にお見舞い申し上げると共に、亡くなられた方々のご冥福もお祈りしたい。

第65回 NHKニューイヤーオペラコンサート 2022

 新春恒例、クラシック音楽のコンサート始めといえば、NHKニューイヤーオペラコンサートである。昨年、今年では抽選による観覧者募集となっている。新型コロナウィルス対策だろうか。疑問である。これでは、コンサートを聴きたいクラシック音楽ファンを締め出すことになる。来年こそ、入場券を販売する方式を復活させてほしい。

 今年の司会は宮本亜門、久保田祐佳。阪哲郎、東京フィルハーモニー交響楽団。二期会合唱団、藤原歌劇団合唱部、びわ湖ホールアンサンブル、新国立劇場合唱団。

 まず、合唱でヨハン・シュトラウス2世「こうもり」より、「夜会へようこそ」。森野美咲は「こうもり」から「侯爵様のような方は」でコンサートの幕開けとした。見事な歌唱、演技だった。宮里直樹、ドニゼッティ「愛の妙薬」から「人知れぬ涙」。これも素晴らしいものだった。石橋栄美、グノー「ファウスト」から「宝石の歌」、見事だった。

 オッフェンバッハ「ホフマン物語」から3曲。村上敏明は「昔、アイゼナッハの屋敷で」を取り上げ、見事な歌唱と演技力で会場を盛り上げる。高橋納は「小鳥たちが憧れを歌う」、機械仕掛けの人形、オランピアの性格を捉え、コロラトゥーラも見事に聴かせた。「美しい恋の夜 舟歌」は小林厚子、山下牧子による2重唱。ヴェネツィアのゴンドラの恋を描き出している。

 ドヴォルジャーク「ルサルカ」より「月に寄せる」、水の精ルサルカが王子への思いを歌う。森麻季がルサルカの思いをじっくり、心から歌い上げた。心に響く名唱である。ジョルターノ「アンドレア・シェニエ」から「青空を眺めて」、

名古屋出身の笛田博昭は、東京では藤原歌劇団で活躍するテノール。東京での活躍も目覚ましく、NHKニューイヤーオペラコンサートには常連となった。声の強靭さ、表現力が素晴らしい。イタリア・オペラのテノールでは優れた人材で、藤原歌劇団のオペラ公演で聴いてみたい。プッチーニ「トスカ」から「歌姫への愛」、「歌に生き、恋に生き」。当初、大西宇宙となっていたが、大西が体調不良のため、黒田博、大村博美となった。歌姫フローリア・トスカの恋人、画家マリオ・カヴァラドッシを亡き者にし、トスカをわがものとせんと図るスカルピア、トスカは神にすがる思いである。黒田、大村の掛け合いが見事。アリアでの大村が迫真に迫る歌唱、演技で迫った。

 ヴェルディからは5曲。「ナブッコ」から「わが想いよ」、「闇の中から見える」は、二期会合唱団、藤原歌劇団合唱部、びわ湖ホールアンサンブル、新国立劇場合唱団がしみじみと、心に響くユダヤの民の思いを歌い上げた。妻屋秀和がユダヤの祭司の思いを見事に表現していた。「仮面舞踏会」から「最後の願い」、中村恵理はスウェーデン国王、グスタフ3世暗殺事件を題材としたオペラで、母親としての強い思いをしみじみと歌い上げていた。「ドン・カルロ」より「最後の時」、高田智弘はスペイン王家を舞台とした王、王妃、王子ドン・カルロの三角関係から生ずる悲劇で重要な役、ロドリーゴの別れを淡々、かつ心に伝わるように演じ、歌った。「シモン・ボッカネグラ」から「貧しい家の娘が」、「その名を呼ぶだけで胸が躍る」、砂川涼子、上江隼人は中世に栄えたジェノヴァ共和国の平民派、貴族派の争いを描くドラマで、実の娘と父親との再会を喜ぶ親子を見事に演じた。中世イタリアでは、ジェノヴァ、ヴェネツィアのように、都市共和国としてヨーロッパで大きな役割を果たした。ジェノヴァはサルディーニャ王国、ヴェネツィアはオーストリア帝国に併合され、19世紀にイタリアの主要都市となった。ジェノヴァでの平民、貴族の争いのドラマを描いたヴェルディは、イタリア統一の願いを込め、この作品を書いた。アリコ・ボーイトによる改訂版が成功、ヴェルディの名作となった。

 プッチーニ「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」、福井敬がトゥーランドットへの一途な思いを歌いあげた。カラフに付き添ったリューの死までを描き終えたプッチーニの絶筆となり、様々な補完版がある。カラフの愛を受け入れたトゥーランドットを祝福する民衆たちのフィナーレを聴き、プッチーニの執念を感じ取るべきだろう。

 マスネ「ウェルテル」から「誰が言えるか」、藤村美穂子のじっくり歌い上げる歌唱が素晴らしい。心に響く歌とはこういうものだろう。ヨーロッパで活躍する歌手として培ったものが感じられた。

 フィナーレはヨハン・シュトラウス2世「こうもり」から「ワインの流れに」、ソリストたち、合唱が織りなす声の流れが2023年のオペラ、声楽のコンサートを占うものになるだろうと感じさせた。オペラ、コンサートを楽しみである。

ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤーコンサート 2023

 新年恒例、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューイヤーコンサート、2023。フランツ・ヴェルザー・メストが指揮台に立った。NHKは長年、ドイツ、オーストリアの放送局と共同で放送に当たっている。テレビ放送では、多彩なゲストを迎えている。ピアニスト 反田恭平、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の楽員、ベーデンボルク和樹をゲストに迎え、ヴィーンの特設スタジオから放送した。ちなみに、反田はヴィーンで指揮を学んでいる。

 ヴェルザー・メストは、シュトラウス一家ではヨーゼフの作品に焦点を当て、ヨーゼフの再評価を試みたこと、フランツ・フォン・スッペ、ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世、カール・ミヒャエル・ツィーラーの作品も取り上げ、19世紀後半のヴィーンのワルツ・ポルカ、オペレッタの歴史を概観するプログラムにした。これが大成功だった。

 ヴィーン国立歌劇場バレエ団のバレエは、ハプスブルク家の遺産、修道院の図書館を舞台に生かし、シュトラウスの音楽に彩を添えている。締めくくりは、ヨハン2世「美しき、青きドナウ」、ヨハン1世「ラデツキー行進曲」、ヴェルザー・メストが名演を聴かせた。

 2024年は、クリスティアン・ティーレマンが登場する。ドレースデン・シュターツカペレの任期は最後となる。ティーレマンの今後が注目されるため、楽しみである。

NHK交響楽団 第9演奏会 2022

 井上道義がNHK交響楽団、第9演奏会に登場する。2024年限りで引退を宣言した井上が、渾身の限りの指揮でベートーヴェン、交響曲第9番、Op.125「合唱」に挑む。

 ソプラノ クリスティーナ・ランツマッヒャー、アルト 藤村美穂子、テノール ベンヤミン・ブルンズ、バス ゴデルジ・ジャネリーゼ。合唱 東京オペラシンガーズ、新国立劇場合唱団。

 第1楽章。ベートーヴェンの総決算と言うべき素晴らしい書法、無駄のない動機展開が見事である。井上のスコアの読みもしっかりしている。そこから、壮大な音楽を展開する。ベートーヴェンが自分の生涯を振り返りながら、何を思い、考え、語ったか。全てを見通した上で、音楽を作り上げている。

 第2楽章。スケルツォでも壮大な音楽作りが見事である。造形力もしっかりしている。中間部の歌心が素晴らしい。渾身の力がみなぎっている。

 第3楽章。歌心溢れる演奏。ベートーヴェンが愛した2人の女性、アントーニア・フォン・ブレンターノ男爵夫人、ヨゼフィーネ・フォン・シュタケルベルク男爵夫人の面影を表現しているようである。1821年、41歳で世を去ったヨゼフィーネへの思いも隠れているようである。ベートーヴェンの思いが満ち溢れていた。

 第4楽章。オーケストラの序奏。第1楽章から第3楽章の回想、シラー「歓喜に寄す」の主題が聴こえ、盛り上がる。冒頭の激しい動機から、バスが「友よ、この音ではなく、喜びを」と歌い、「歓喜に寄す」が始まる。ジャネリーゼの力強いバス、ブルンズ、藤村、ランツマッヒャーが加わり、素晴らしいアンサンブルを聴かせていく。東京オペラシンガーズ、新国立劇場合唱団も見事である。ブルンズが「英雄のごとく歩め」と歌い出す。見事な歌唱だった。井上も歌い、オーケストラ、ソリストたち、合唱を引っ張っていく。

 シラーがこの詩を書いた時、酒宴での即興だった。ベートーヴェンも酒好きで、友人たちとビール、ポンスを楽しんでいた。そのような雰囲気だったとすれば、人類愛は拡大解釈かもしれない。と言っても、この交響曲が今でも歌い継がれていることは事実である。「全ての人は兄弟となる」というメッセージが、多くの人々の共感を呼び、平和と愛のメッセージ、人類愛のメッセージともなっていることもまた、事実だろう。2月に始まったロシアのウクライナ侵攻が裏付けている。1989年のベルリンの壁崩壊、東欧革命、1990年のドイツ再統一、これらの歴史を見ても、もう一度、ベートーヴェンがこの作品に込めた意味を考える意義があるだろう。クルト・マズアがライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と共に来日してのベートーヴェン・ツィクルス、第9には東欧革命、ベルリンの壁崩壊の息吹を伝えたものだったことを改めて記しておく。

北とぴあ国際音楽祭 2022 リュリ アルミード

 北とぴあ国際音楽祭、2022は待望のジャン・バティスト・リュリ「アルミード」上演が実現した。2020年に予定していた上演が新型コロナで延期になり、2年後のこの時となった。(9日 北とぴあ さくらホール)

 原作はタッソー「解放されたエルサレム」、十字軍をテーマとし、魔女としてアルミードが登場する面では、ヘンデル「リナルド」と共通する。リュリはアルミードが主役となり、騎士ルノーはアルミードへの愛を告白するものの、アルミードの許を去る。一方、ヘンデルでは、アルミードはリナルドの恋人を奪い、愛を告白するという点では異なる。アルミードは自分の真の恋人と結ばれ、キリスト教に改宗する。

 タイトルロールを歌ったクレール・ルフィリアートルは、体調が十分でなかったとはいえ、愛に揺れるアルミードを見事に歌い、演じた。ルノーのフィリップ・タルポも揺れる恋心ある騎士を見事に演じた。湯川亜也子、波多野睦美、与那城敬、山本悠尋、中嶋克彦、鈴木真衣、谷口洋介、鈴木美紀子も見事な歌唱と演技で見せた。

 バロックダンスでは松本更紗、ダリウシュ・ブロイェク、ニコレタ・ジャンカーキ、ピエール・フランソワ・ドレの見事な踊りがオペラを引き立てた。

 フランス、バロック・オペラではダンスもオペラ進行面では重要な役割を果たしている。その面も生かした上演は必要ではなかろうか。プロローグでの国王賛美、ルイ14世治世下のフランスを象徴する。それが、ラモーに至り、どう変わったかが問われるだろう。フランス絶対王政がルイ15世、16世と至り、フランス革命で崩壊する中、オペラ上演がどのような変遷をたどったか。

 2023年、ラモー「ボレアード」上演となる。答えを見つけよう。

バッハ・コレギウム・ジャパン 第151回定期演奏会

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第151回定期演奏会は、大天使ミカエルの祝日にちなんだ秋のカンタータを集めた内容だった。プログラムは鈴木優人のオルガンで前奏曲、BWV757-1、コラール「おお主なる神よ、汝の神なる御言葉」、トリオソナタ第2番、BWV526、フーガ、BWV757-2、カンタータ第47番、BWV47「誰であれ高ぶるものは低くせられ」、第8番、BWV8「愛する御神よ、いつ我は死なん」(第2稿)、第130番、BWV130「主なる神よ、我ら皆あなたを讃えます」(東京オペラシティ コンサートホール)

 オルガニストとしての鈴木優人の演奏には円熟味、プログラム構成力も加わり、聴き応え十分だった。ソリストでは、東京芸術大学卒業後、ミュンヒェンに留学、RIAS室内合唱団初の日本人団員となったテノール、吉田志門が日本デビューを飾る好演を見せた。ソプラノ、松井亜希、カウンターテノール、青木洋也、バス、ドミニク・ヴェルナーも好演。

 次回、鈴木優人によるモーツァルト、レクイエム、K.626、交響曲第39番、K.543によるコンサートが楽しみである。

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サントリー音楽財団 サマーフェスティバル 第32回 芥川也寸志 サントリー作曲賞 選考演奏会

 サントリー音楽財団 サマーフェスティバルの重要コンサートの一つ、第32回 芥川也寸志 サントリー作曲賞 選考演奏会がサントリーホールで行われた。(27日 サントリーホール)

 このコンサートでは、この1年間に初演された日本人作曲家によるオーケストラ作品、3-4曲をノミネートし、3人の作曲家たちが選考委員となって、受賞作を選ぶ形式を取る。今回は若手作曲家、3人の作品が候補に挙がった。

 まず、2020年の受賞者、小野田健太、2台のピアノとオーケストラのための「綺羅星」で始まる。秋山友貴、山中淳史のピアノ、杉山洋一、新日本フィルハーモニー交響楽団が聴きごたえあった。杉山は、この演奏会を含め、20世紀音楽゛は定評ある。宇宙の神秘を描き出したもので、最後には第2ピアノによる鍵盤内部奏法を用いた終結が印象深い。

 候補曲、第1番。波立裕矢「失われたイノセンスを追う。Ⅱ」、ジャズ、マーラーの引用を用いた面白い作品。愛知県立芸術大学、東京芸術大学大学院出身。第89回日本音楽コンクール、第1位。

 第2番。根岸浩輔「雲隠れにし、夜半の月影」、紫式部の和歌を基にした作品。

 

   巡り逢いて 見しやそれとも わかぬまに 雲隠れにし 夜半の月かな

 

紫式部は藤原宣孝と結婚、僅か2年の結婚生活で宣孝に先立たれ、幼い一人娘、賢子を抱え、一条天皇の中宮、彰子に仕える傍ら、世界最長の小説「源氏物語」を遺した。2024年、NHK大河ドラマ「光る君へ」は式部の生涯を描く作品、背景となった藤原道長の権勢も中心となる。

 紫式部が宣孝との短い結婚生活を振り返りつつ詠んだ歌の思いを見事に表現した作品。日本大学、大学院出身。第31回朝日作曲賞、2021年武満徹作曲賞受賞。

 第3番。大畑眞「ジンク」、宮城県登米市出身の大畑は、2011年3月11日に起った東日本大震災で大きな被害を被った東北の大地への思いを込めた。東北の復興は進んでいないとはいえ、東北の人々への応援歌としての意味は大きい。東京芸術大学、大学院在学中。

 今回は、波立が受賞となったものの、大畑も受賞できたはずである。大震災で大きな被害を受けた東北への応援歌として作曲した作品なら、受賞可能だった。1991年の第3回では2人受賞していることを考えると、優れた作品が2曲あるなら、2人受賞してもよいはずだろう。2018年は4曲ノミネートとなり、2曲受賞しても当然だったはずである。その点でも不満が出ていた。1人受賞はこの際、考えてはいかがだろうか。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第150回定期演奏会 ハイドン「天地創造」Hob.21-2

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第150回定期演奏会は、ハイドン「天地創造」Hob.21-2、鈴木優人の見事な音楽作り、ソリストたちの素晴らしい歌唱が聴きものだった。(東京オペラシティ コンサートホール)

 重々しい、混とんとした序奏から、神による天地創造の過程を見事に描き出す。昼と夜、天と地、生き物たち、人間が創造される。鈴木優人が見事な統率力でオーケストラ、合唱をまとめ上げ、天地創造のドラマを作り上げた。第1部、第2部は天使ラファエル、ガブリエル、ウリエルが神の創造力・偉大さを語る。第3部はアダム、エヴァの夫婦愛を描く。

 ラファエル、アダムを歌ったクリスティアン・イムラーの重厚な歌唱、ガブリエル、エヴァを歌ったジョアン・ラン、ウリエルを歌った櫻田亮の素晴らしさが光る。櫻田の歌唱には、日本を代表するテノール歌手としての自信、円熟味が感じられた。

 鈴木優人は霧島国際音楽祭などへの出演など、注目すべき存在になって来た。これからの活躍ぶりには目が離せない存在に成長してきたことをうかがわせる。

 

調布国際音楽祭 2022 バッハ・コレギウム・ジャパン バッハ名曲選

 調布国際音楽祭 2022、フィナーレを飾るバッハ・コレギウム・ジャパン、バッハ名曲選。前半はカンタータ、シンフォニアのヴァイオリン協奏曲への編曲、クラヴィーア協奏曲、BWV1052のオルガン協奏曲版。後半は教会カンタータ、BWV51「全ての人よ、主を讃えよ」、管弦楽組曲、第4番、BWV1069。

 カンタータのヴァイオリン協奏曲版は若松夏美のヴァイオリン、クラヴィーア協奏曲のオルガン協奏曲版は鈴木優人のオルガン、聴きものだった。

 カンタータは中江早希が好演、最後の「アレルヤ」は、モーツァルト、モテット「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」K.165に影響を与えた可能性がある。1770年代でもマタイ受難曲上演の記録がある以上、バッハの作品もどこかで演奏され続けた可能性も高い。

 管弦楽組曲、第4番の壮麗な締めくくり。来年の企画が楽しみである。

調布国際音楽祭 2022 フェスティバルオーケストラ

 調布国際音楽祭 2022、フェステイバルオーケストラは、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームスといったドイツ、ロマン主義の名作を集めたプログラムであった。(25日 調布グリーンホール)

 鈴木雅明はバッハ演奏のみならず、若手音楽家たちの育成にも当たっている。フェスティバルオーケストラを編成、オーケストラの名作を体験することによって、音楽家としての基礎力を高め、かつ知識を広め、経験させることを重んじ、この企画を続けている。ドイツ、ロマン主義の名作によるプログラムを組み、経験させたことは大きいだろう。

 メンデルスゾーン、序曲「フィンガルの洞窟(へブリティーズ)」、Op.26。北海の荒波、厳しい北風といった自然の情感が伝わって来た。

 河村尚子をソリストに迎えたシューマン、ピアノ協奏曲、Op.54。情感たっぷりの河村のピアノが素晴らしい。また、オーケストラも一体化した名演だった。

 ブラームス、交響曲第1番、Op.68。昨年、鈴木によるNHK交響楽団、定期演奏会でのシューマン、交響曲第1番、Op.38「春」が名演で、ブラームスも聴きたいと願っていたため、実現した。ブラームスの「生みの苦しみ」を実感しつつも、第4楽章、序奏部でのブラームスの喜びの声が見事に伝わって来た。ブラームスの思いが会場を満たしていた。

 河村がアンコールで演奏したシューマン=リスト「献呈」。これもシューマンのロマンの香りを伝えたものであったことも付け加えておこう。

伊藤恵 ピアノリサイタル 

 伊藤恵がベート―ヴェン中心に据えた「春を運ぶコンサート」シリーズは2020年、2021年、新型コロナウィルスの影響で中止となり、今回で再開となった。(紀尾井ホール)

 プログラムはベートーヴェン、ソナタ、第28番、Op.101、第31番、Op.110、シューベルト、12のドイツ舞曲、D.790、シューマン、間奏曲集、Op.4。

 シューベルト、シューマンを中心にしたコンサートシリーズを開いてきた伊藤も、さすがにベートーヴェンは避けて通れない。新型コロナウィルスの影響での中止は痛かったにせよ、後期の2曲のソナタ、シューベルト、シューマンによるプログラムに、伊藤の円熟した味わいが感じられた。

 シューマンでは歌心、色彩感に深みが増し、ロマン主義の神髄が聴きとれた。シューベルトも舞曲の性格付け、深い歌心が見事だった。ベートーヴェンでは円熟した深みのある音楽が聴き手にじっくり伝わってきた。

 アンコール、シューベルト、楽興の時、D.780-3、ベートーヴェン、エリーゼのために、WoO.59。じっくり聴かせるピアニストに成長した伊藤の姿を味わえた。

バッハ・コレギウム・ジャパン 第147回定期演奏会

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第147回定期演奏会は3月21日がバッハの誕生日にちなみ、前半が3台のチェンバロのための協奏曲2曲、2台のチェンバロのための協奏曲、後半がバッハのオルガン作品、教会カンタータというプログラムであった。(東京オペラシティ コンサートホール)

 3台のチェンバロの協奏曲、第2番、BWV1064は華麗さ、精神性が調和した作品。鈴木優人、鈴木雅明、大塚直哉が素晴らしいまとまりを見せた。第1番、BWV1063、メンデルスゾーンがたびたび取り上げるようになり、イグナッツ・モシェレス、ジーギスムント・タールベルク、クラーラ・シューマンと共演を繰り返していた。ここでは鈴木雅明、大塚直哉、鈴木優人の順で見事なまとまりだった。2台のチェンバロのための協奏曲、BWV1060では鈴木親子ならではの素晴らしい演奏だった。

 後半、鈴木優人のオルガンでバッハ、プレリュードとフーガ、BWV535が演奏され、これも聴きどころたっぷりの演奏だった。鈴木雅明が指揮を取り、教会カンタータ、BWV30「喜ばしく舞い上がれ」では、加藤宏隆の堂々たる歌唱が素晴らしい。久保法之も注目すべきカウンターテノールの一人だろう。聴きどころたっぷりの歌唱だった。松井亜希、櫻田亮も好演。

 アンコール、教会カンタータ、BWV147から「イエスは我が喜び」を取り上げた。鈴木雅明が今のウクライナ情勢に対し、心からの祈りを込めたいとのアナウンスがあった。音楽家であっても、ウクライナ情勢から目を背けてはいけない。改めて考えさせられた。

バッハ・コレギウム・ジャパン 第146回定期演奏会

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第146回定期演奏会はモーツァルト、宗教オペラ「第一戒律の責務」K.35、戴冠ミサ曲、K.317、鈴木優人指揮による聴き応え十分の意欲的なプログラムだった。(東京オペラシティ コンサートホール)

 モーツァルトのオペラ第1作となった「第一戒律の責務」は中江早希、望月万里亜、澤枝依里、谷口洋介、櫻田亮が傑出していた。怠惰なキリスト教徒が正義・慈愛・世俗・キリスト教徒の霊によって信仰に目覚めていく過程を描いた宗教オペラで、ダ・カーポ・アリアが見られるにせよ、後年の名作オペラへの道筋を感じ取った。

 戴冠ミサ曲では中江早希・青木洋也・櫻田亮・加耒徹が素晴らしい独唱を聴かせると、合唱が見事に応じた。加耒の堂々たる歌唱が心境著しい境地に入っていることを示していた。

 11歳ながら、オペラの本質を捉えた作品を生み出したモーツァルトは後年、数々の名作オペラを生み出す。宗教オペラとは言いながら、充実した作品で、一聴の価値ある作品といえよう。

 鈴木優人が新世代の音楽家として着々と地歩を固め、父鈴木雅明を超える存在になりつつある。今後の活躍に期待しよう。

NHKニューイヤーオペラコンサート 特別編

 新春恒例、NHKニューイヤーオペラコンサートは、池袋、東京芸術劇場での開催となった。今回は特別編、観覧が抽選となった。今回は事情により、テレビからの観覧となった。指揮、阪哲郎、東京フィルハーモニー交響楽団。

 まず、ヴェルディ「椿姫」から乾杯の歌、森麻季、笛田博昭、二期会合唱団・藤原歌劇団合唱部・新国立劇場合唱団・びわ湖ホール声楽アンサンブルが彩を添え、開幕にふさわしいものとなった。森の活躍ぶりは素晴らしい。笛田も東京での活躍の場が確立している。宮里直樹による「リゴレット」、「あれかこれか」、マントヴァ侯爵の好色ぶりを描く。高橋維はドニゼッティ「連隊の娘」から「誰でも知っている」、ベルカント・オペラの精髄を聴かせた。妻屋秀和はロッシーニ、「セヴィリアの理髪師」から「陰口はそよ風のごとく」、ベテランの味である。

 モーツァルトでは、砂川涼子、黒田博による「魔笛」から「恋を知る人は」、聴きごたえ十分である。大西宇宙による「ドン・ジョヴァンニ」から「みんなで酒宴を」、素晴らしい。森谷真理による「後宮からの誘拐」から「どんな苦しみも」、コンスタンツェの強い意志が伝わった。

 ビゼー「カルメン」から、石橋栄美、村上敏明による「故郷の声」は、ドン・ホセとミカエラの故郷を懐かしむ思いが伝わった。山下牧子による「セギディーリア」、何とか逃がしてもらおうとするカルメンの計略が伝わった。砂川涼子による「怖がるものか」、カルメンに誘惑されたドン・ホセを救わんとするミカエラの思いをうたい上げた。須藤慎吾による「闘牛士の歌」、闘牛士エスカミリオの心意気を見事に表現していた。カルメンはドン・ホセを捨て、エスカミリオに走ったため、ホセに殺されてしまう。それを暗示したものが「トランプ占いの3重唱」で、カルメンは自分のみならず、ホセも死ぬことを知り、エスカミリオに走ったかもしれない。「カルメン」を見るなら、「トランプ占い」にも注意すべきだろう。

 ここで、NHKとオペラとの歴史が流れた。ニューイヤーオペラコンサート、イタリア・オペラ、スラブ・オペラ。それらを映像・電波で私たちのもとに届けてくれた。日本のオペラ界をけん引した歌手たちの映像も貴重だった。

 ヨハン・シュトラウス2世「こうもり」から「夜会への誘い」、二期会合唱団・藤原歌劇団合唱部・新国立劇場合唱団・びわ湖ホール声楽アンサンブルの合唱から、オルロフスキー公爵の夜会へ招き入れられるような雰囲気が伝わった。

 森麻季によるコルンゴルト「死の都」より「ただ一つの幸せ」、しっとりとした歌に過ぎし日の思いを歌い上げる、味わいに満ちたものだった。村上敏明によるヴァーグナー「ヴァルキューレ」より「冬は過ぎて」、ドイツ・オペラへの初挑戦はまずますだった。

 ヴェルディ、小林厚子による「ドン・カルロ」から「泣かないで」、かつての婚約者だったドン・カルロとの思いを歌い上げる複雑な思いが伝わった。上江隼人による「仮面舞踏会」から「心を乱す者よ」、このオペラは原型となったスウェーデン国王暗殺事件に戻して上演されることもある。主君が臣下の妻に思いを寄せていたことを知り、怒りをにじませていた。

 プッチーニ、福井敬による「トスカ」から「星は光り」、画家カヴァラドッシの悲しみがにじみ出ていた。小林厚子、山下牧子による「蝶々夫人」から「桜の枝をゆすり」、待ちわびた夫、ピンカートンが来る喜びとその後の事実を知るに至る悲劇。揺れる心を描いていた。

 笛田博昭によるレオンカヴァルロ「道化師」から「衣裳を」、妻の裏切りを知った男の悲劇を歌い上げた。大村博美によるヴェルディ「運命の力」から「神よ、平安を」、ふとした悲劇から運命に翻弄される恋人たちの悲劇、神への救いを求める思いが伝わった。

 ベートーヴェン「フィデリオ」から「このよき日」、福井敬・森谷真理・大西宇宙・高橋栄美・妻屋秀和、二期会合唱団・藤原歌劇団合唱部・新国立劇場合唱団・びわ湖ホール声楽アンサンブルの合唱が夫フロレスタンを救い出したレオノーレ、フロレスタンの友人、司法大臣ドン・フェルナントをはじめ、マルツェリーナ、ロッコが喜びにあふれ、自由の思いを歌い上げていく。コンサートの締めくくりにふさわしい。

 二期会では現代ドイツ史を踏まえた演出による上演で、ベートーヴェン生誕250年を飾った。意義ある上演だったことは言うまでもない。

 締めくくりはヨハン・シュトラウス2世「こうもり」から「ぶどう酒の燃え上がる流れに」、来年はNHKホールに戻るが、オペラ界の地図はどうなるだろうか。

ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤーコンサート 2022

 世界の音楽ファンあこがれの的、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューイヤーコンサート、2022は、ダニエル・バレンボイムを指揮台に迎えた。NHKEテレでは、ショパンコンクールで2位となった反田恭平、落語家、林家三平(2代目)、市川紗椰が登場した。

 2代目林家三平によると、昭和の爆笑王とうたわれた初代林家三平がクラシック音楽ファンだった。先般亡くなった柳家小三治もクラシック音楽ファンで有名だったから、落語家のクラシック音楽ファンはどれだけいるだろうか。2代目林家三平が、音楽の友に連載「古典(クラシック)音楽 どうもすみません」を出してきた。誰が読んでも面白さの中に、クラシック音楽の魅力を伝えている。

 バレンボイムは、音楽の力でユダヤとアラブの共存共栄を進め、長年にわたって政権の座にあったベンヤミン・ネタニヤフなど、ユダヤ至上主義者たちから「目の上のたん瘤」というべき、面白くない存在である。そんなバレンボイムの活動に対して、日本の音楽ファンたちがもっと関心を示すべきではなかろうか。

 今回はヨーゼフ・シュトラウスの作品が多い。エドゥアルト、ヘルメスベルガー、ツィーラーの作品もあり、19世紀ヴィーンの音楽文化の片鱗を垣間見ることができる。オペレッタ「こうもり」序曲では、2代目林家三平が初演された年を「いい話(1874)」と言った。さすが落語家。反田による、ピアノ版ピチカート・ポルカも聴きものだった。しゃれた味わいに満ちた演奏だった。後半、ヴィーン国立歌劇場バレエ団によるバレエが呼び物で、シェーンブルン宮殿、スペイン乗馬学校を舞台にした振り付けは見事である。「美しき青きドナウ」演奏の前、バレンボイムが音楽・社会とのつながりから平和への呼びかけを行った。私たちはこの声にこたえ、政治・社会への関心を高めたい。「ラデツキー行進曲」が鳴り響き、締めくくりとなった。

 2023年、ニューイヤーコンサートはフランツ・ヴェルザー=メストとなった。クリスティアン・ティーレマンと共にドイツ・オーストリアの大御所となった今、楽しみにしたい。

バッハ・コレギウム・ジャパンのクリスマスコンサートシリーズ

 バッハ・コレギウム・ジャパンのクリスマスコンサートシリーズは、第145回定期演奏会が待降節(イエス・キリスト降誕を待つ期間)のカンタータ、クリスマス恒例の「メサイア」であった。(11月26日 東京オペラシティ・コンサートホール、12月24日 サントリーホール)

 第145回定期演奏会では、鈴木雅明のオルガンによるトッカータとフーガ、BWV540に始まった。名オルガニストとしての存在感十分だった。カンタータ、BWV61「来たれ、異邦人の救い主」から始まった。森麻季、青木洋也、櫻田誠、ドミニク・ヴェルナーが素晴らしい。後半はクリスリス・オラトリオ、BWV248、第1部、第2部、第3部。鈴木優人が見事な演奏を聴かせた。

 クリスマス恒例となった、ヘンデル、メサイア、HMV56。こちらは鈴木雅明の指揮、久々に聴く名演といえようか。素晴らしい深まりを見せた。当初予定されたソプラノ、松井亜希が急病で出演できず、森麻季に変わった。森が素晴らしかった。アルト、湯川亜也子、テノール、西村悟、バス、大西宇宙も素晴らしい歌唱だった。

 アンコールはクリスマスの讃美歌、「生けるもの全て」で締めくくった。2022年のバッハ・コレギウム・ジャパンはとどんな演奏を聴かせるだろうか。楽しみである。

北とぴあ国際音楽祭 ラモー アナクレオン

 北とぴあ国際音楽祭は、当初予定のリュリ「アルミード」が新型コロナウィルスのため、出演歌手が来日できなくなったことを受け、ラモー「アナクレオン」に変更となった。(10日 北とぴあ さくらホール)

 前半がフランス・オペラのバレエ名曲集、後半に「アナクレオン」という構成で、聴きどころ・見どころ豊かな舞台となった。これは、寺神戸亮率いるレ・ボレアードをはじめ、ソリスト・合唱・バレエが一体化した上演が実を結んだ。

 ルベル「様々な舞曲」、リュリ「町人貴族」、上演予定だった「アルミード」、ラモー「プラテ」からの場面では、ピエール・フランソワ・ドレ、松本更紗のバレエが見事だった。「アナクレオン」では、与那城敬をはじめ、湯川亜也子、

佐藤裕希恵、久保敬之、村松念之、谷口洋介、波多野睦美がフランス・オペラを自分のものにして、素晴らしい歌唱を聴かせた。

 寺神戸の指揮ぶりも見事で、ヴァイオリンの引き振りも見事としか言いようがない。来年こそ、「アルミード」上演を大いに期待する。

ゲルハルト・オピッツのコンサートシリーズ

 ペーター・レーゼルと共にドイツ・ピアノ界を代表する大御所、ゲルハルト・オピッツが11月24日、12月14日にリサイタル、12月22日に室内楽の夕べ、27日、28日にベートーヴェン、ピアノ協奏曲全曲演奏のコンサートシリーズを行った。(11月24日、12月22日 浜離宮朝日ホール 12月14日、東京オペラシティ コンサートホール 12月27日、28日 紀尾井ホール)

 リサイタルでは、浜離宮朝日ホールはベートーヴェン、ソナタ第17番、Op.31-2「テンペスト」、第23番、Op.57「熱情」、シューマン、3つの幻想小曲集、Op.111、ブラームス、幻想曲集、Op.116、ドイツ音楽の神髄をたっぷり味わうことができた。シューマンの作品の後にブラームスの作品を置いたことは、ブラームスのとのつながりを意識していたことが頷けた。東京オペラシティ コンサートホールでは、モーツァルト、幻想曲、K.475、ソナタ第14番、K.457、ベートーヴェン、エロイカの主題による変奏曲、Op.35、ムソルグスキー、展覧会の絵によるもので、モーツァルトの素晴らしい内面性、ベートーヴェンのスケールの大きさ、変奏曲の本質をえぐりだした演奏は見事だった。ムソルグスキーも音楽の本質をしっかり伝えた名演だった。

 室内楽の夕べでは、名古屋に本拠を置く愛知室内オーケストラのメンバーたちとのモーツァルト、フルート4重奏曲第1番、K.285、ベートーヴェン、ピアノと木管楽器のための5重奏曲、Op.16、ブラームス、ピアノ5重奏曲、Op.34で、愛知室内オーケストラのメンバーたちの力量も素晴らしいし、オピッツのピアノも見事だった。圧巻はブラームスで、素晴らしい演奏だった。

 締めくくりとなるベート―ヴェン、ピアノ協奏曲全曲演奏会では、第2番に始まり、ベートーヴェンのピアノ協奏曲創作史をたどり、第5番「皇帝」に至るベートーヴェンの実験を体感した。ヴァイオリン協奏曲の編曲版には、第5番への創作過程が見て取れた。ユべール・スダーン、愛知室内オーケストラが素晴らしい演奏で華を添えたといえよう。

 愛知室内オーケストラは、名古屋を本拠に、愛知県の音楽家たちを中心として、名古屋楽檀の牽引車になってきた。東京への公演も行って、名古屋の力を発揮してほしい。

ペーター・レーゼル ピアノリサイタル フェアウェルリサイタル

 ゲルハルト・オピッツと共にドイツ・ピアノ界を代表する大御所、ペーター・レーゼル最後の来日リサイタルは、2007年、日本では30年ぶりとなった時のプログラムを再現したものとなった。(13日 紀尾井ホール)

 ハイドン、ソナタ第52番、Hob.52のたっぷりした音色と歌心には深みが増していた。ベートーヴェン、ソナタ第32番、Op.111も2008年~2011年までのベートーヴェンツィクルス以上の深さが感じられた。さらに、シューベルト、ソナタ第21番、D.960には、一種の寂寥感が滲み出た、深味溢れる名演だった。

 アンコールはシューベルト、即興曲、D.935-2、ベートーヴェン、6つのバガテルから第1曲、Op.126-1、ソナタ第10番、Op.14-2、第2楽章で締めくくった。

 レーゼル自身、今年で76歳。もはや、飛行機での長旅もできなくなったことを考えると、これが日本では最後になるだろう。しかし、パウル・バドゥラ・スコダが90歳記念での来日公演が予定されていたことを思うとどうか。イタリアの名匠、アルド・チッコリーニも88歳での来日公演があった。また、メナヘム・プレスラーも100歳近くでも来日していた。今後を考えるとどうなるだろうか。

 11月から12月、もう一人のドイツ・ピアノ界の大御所、オピッツがやって来て、リサイタル・室内楽・ベートーヴェン、ピアノ協奏曲全曲演奏会を行うので、楽しみである。これまで、春にはレーゼルが来日、秋冬にはオピッツが来日、共にドイツ音楽の心髄を日本の聴衆たちに伝え、一種の風物詩となって来た。それがなくなることは寂しいとはいえ、ドイツ・ピアノ界ではミヒャエル・コルシュティクなどの来日を期待している。今のドイツ・ピアノ界で注目されているピアニストたちをどんどん日本に紹介してほしい。

読売日本交響楽団 第241回 日曜マチネーシリーズ

 読売日本交響楽団、第241回、日曜マチネーシリーズはシベリウス、交響詩「フィンランディア」Op.26、交響曲第2番、Op.43、ベートーヴェン、ピアノ協奏曲、第1番、Op.15による重量感溢れるプログラムだった。(東京芸術劇場)

 指揮は2019年、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した新進女性指揮者、沖澤のどか、ピアノはゲルハルト・オピッツと共にドイツを代表する大御所ピアニスト、ペーター・レーゼルであった。

 ブザンソン国際指揮者コンクールと言えば、小澤征爾、佐渡豊、下野達也といった日本人指揮者が優勝している。女性指揮者としての優勝は一つの快挙だろう。レーゼルの来日も今回が最後となる。その意味でも聴き逃せないコンサートでもあった。

 沖澤の指揮ぶりから、シベリウスの作品の本質をしっかり捉え、スケールの大きな音楽が伝わって来た。フィンランディアの重量感は聴き応え十分だった。交響曲第2番は、フィンランドの田園賛歌だった。第1楽章は、シベリウスがイタリアで着手したこともあってか、南国の明るさ・フィンランドの大地の匂いが溶け合っていた。第4楽章はまさに、フィンランドの田園賛歌が広がった。

 レーゼルのベートーヴェンは、若きベート―ヴェンの覇気、ロマン性が調和していた。音色も素晴らしい。沖澤の指揮も位負けしていなかったし、オーケストラとの対話も十分であった。

 新進女性指揮者が聴かせた素晴らしいシベリウス。最後の来日となったレーゼルの見事なピアノ。充実した一時を味わうことができた。13日、レーゼル最後の来日リサイタルもある。こちらも楽しみになった。

バッハ・コレギウム・ジャパン 第144回定期演奏会 ベートーヴェン「オリーヴ山のキリスト」Op.85

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第144回定期演奏会はベートーヴェン「静かな海と楽しい航海」Op.112、交響曲第2番、Op.36、オラトリオ「オリーヴ山のキリスト」Op.85を取り上げた。(東京オペラシティ コンサートホール)

 「静かな海と楽しい航海」はゲーテの詩による作品。生涯、ベートーヴェンはゲーテを敬愛、カールスパート、テプリッツでの出会いは忘れられないものだったとはいえ、ゲーテにはベートーヴェンがオーストリア帝国の皇族・貴族たちに対し、行列を突っ切るといった非礼な態度を取ったことには批判的だった。ゲーテは、ベートーヴェンが作曲したこの作品には何も言及していない。一方で、ゲーテとベートーヴェンの文通は1823年頃まで続いていた。この作品を聴くと、海の静けさ、船が楽し気に進んでいく様子を見事に描いた名作の一つであることを再認識した。

 交響曲第2番は、ベートーヴェンがオーケストラを自由に操り、密度の高い作品に仕上げて行ったことを伺わせた。鈴木雅明の指揮も見事である。第2楽章の気品あふれる中に、ロマン性を忍ばせた性格を浮き彫りにしていた。

 「オリーヴ山のキリスト」は、イエス・キリストがローマ兵たちに捕えられるまでの葛藤を描き出した作品で、ベートーヴェンならではの充実した作風であることを再認識した。イエスがテノールで歌われることが、神の子・人間としての苦しみを浮き彫りにしたことでは成功した。鈴木准の見事な歌唱、セラフィムを歌った中屋早希、ペトロを歌った加耒徹も素晴らしかった。

 鈴木雅明がバッハ・コレギウム・ジャパンを指揮したベートーヴェン交響曲全集のCDが出てほしい。年末の第九も楽しみである。

 

横山幸雄ピアノリサイタル ベートーヴェン・プラス 第7回

 2013年から続いた、横山幸雄によるベート―ヴェン・プラスシリーズはこれで完結となった。(東京オペラシティ コンサートホール)

 まず、ベートーヴェン、ソナタ第8番、Op.13「悲愴」、第14番、Op.27-2「月光」、第23番、Op.57「熱情」の3大ソナタに始まり、後期3大ソナタ、第30番、Op.109、第31番、Op.110、第32番、Op.111で締めくくった後、シューベルト、ソナタ、第21番、D.960、ショパン、ソナタ、第3番、Op.58、リスト、ソナタ、S.178でこのリサイタルシリーズを完結した。

 まず、3大ソナタの定番、「悲愴」「月光」「熱情」は円熟した味わいが感じられた。それが後期3大ソナタにも繋がり、深味あるものになった。

 シューベルトも歌心たっぷりで、最後のソナタに相応しい深味と軽妙さが調和した素晴らしい演奏だった。ショパンにも円熟による深さが増し加わった。リストでも、技巧・音楽が見事に調和した深さを示すことができた。

 アンコールはシューベルト、即興曲、D.899-3。じっくりと歌い込んでいた。このシリーズではブラームスの第1番、シューマンの第3番など、取り上げてほしかったソナタがあったことは心残りである。いずれ、横山が取り上げることを切望する。

 

サントリー音楽財団 サマーフェスティバル 第31回 芥川也寸志サントリー作曲賞 選考演奏会

 サントリー音楽財団、サマーフェスティバル、最終日は第31回、芥川也寸志作曲賞、選考演奏会となった。(28日)今回は、杉山洋一「自画像」、原島拓也「寄木ファッション」、桑原ゆう「タイム・アビス」の3曲となった。

 2019年に受賞した稲盛安太巳「ヒュポムネーマタ」が演奏された。ピアノとオーケストラのための作品で、オーケストラ部分が長すぎたきらいがある。それでも、充実した作品だった。椎野伸一のピアノが素晴らしい。

 杉山の作品は、昨年、鈴木優人が初演している。今回は完全なオーケストラ版で、20世紀から21世紀の今日までの戦争・紛争を描き出したメッセージ性を評価する。私たちの歴史を辿ると、戦争・紛争は付きまとう。今日まで続く中東戦争、アラブ諸国の内戦といったイスラム世界のものが中心だろう。また、ベトナム戦争、学生運動などもその一つだろう。それらに向き合う姿勢を音楽で表現したことに意義があった。

 原島の作品は、琵琶とオーケストラのための作品。原島自身、琵琶を演奏しても、作品からメッセージ性が聴こえてこなかった。何のためかと首をかしげてしまった。

 桑原の作品は、17人の奏者を2つの群に分けた室内楽。時間の観念を音楽として表現した作品で、聴いた後、自然と体が熱さを感じた。

 受賞したものは桑原作品。聴衆の投票でも半数以上が評価していた。和服をリメイクしたドレス姿は印象に残った。2022年、どんな作品・作曲家が出て来るだろうか。

 

サントリー音楽財団 サマーフェスティバル マティアス・ピンチャー

 サントリー音楽財団、サマーフェスティバル、今年のテーマ作曲家は1971年生まれのドイツの作曲家、マティアス・ピンチャーを取り上げた。(25日 27日 サントリーホール)

 室内楽作品では、チェロとピアノのための3部作「光の諸相」、トランペット・ホルン・アンサンブルのための3部作「音触」を取り上げた。

 「光の諸相」は第1曲「いま1」はピアノのための作品、永野秀樹が見事。「いま2」は無伴奏チェロのための作品、エリック=マリア・クチュリエが素晴らしい。「ウリエル」はクチュリエとピンチャーとのデュオ。これも聴き応え十分。

 「音触」は第1曲「天体1」はトランペットとアンサンブル、クレマン・ソーニエが好演。第2曲「天体2」はジャン=クリストフ・ヴェルヴォワットも好演。第3曲「掩蔽」は全てのものが一体化する。アンサンブル・アンテルコンタンポランも全力で支えた。

 オーケストラでは、1997年、アメリカ生まれの若手作曲家、マシュー・シュルタイス「コロンビア、年老いて」には、ドナルド・トランプ大統領に翻弄され、荒廃したアメリカが浮き彫りになっていた。ピンチャーの作品、2作。チェロとオーケストラのための「目覚め(ウン・デスペルタール)」は、岡本侑也が見事に演じた。「河(ネハロート)」は、新型コロナウィルスに苦しむ世界の姿を描き出した傑作である。

 ラヴェル「スペイン狂詩曲」は、スペイン絵巻が繰り広げられ、締めくくりとなった。ピンチャーが指揮者としてもすぐれた存在であることを示してくれた。

 2022年、テーマ作曲家はどうなるか。楽しみである。

サントリー音楽財団 サマーフェスティバル ザ・プロデューサー・シリーズ 東洋ー西洋のスパーク コンテンポラリー・クラシックス

 サントリー音楽財団、サマーフェスティバル、2021年のザ・プロデューサー・シリーズは、パリ発ー「新しい」音楽の先駆者たちをテーマに、大ホールではアンサンブル・アンテルコンタンポランによる東洋―西洋のスパーク、コンテンポラリー・クラシックスという、聴き応え十分のコンサートを行った。(22日 24日)

 東洋―西洋のスパーク。細川俊夫、オペラ「二人静」(初演)に始まる。世阿弥の謡曲に基づき、幼い弟を失い、難民となった少女ヘレンが浜辺にたどり着く。そこへ、源義経の側室、静御前がやって来て、義経の子を身ごもっていたものの、男の子だったため、兄、源頼朝に殺されてしまった悲劇を語る。ヘレンも静御前の語りを聞き、幼い命を失った2人は声を合わせていく。静御前は立ち去り、ヘレンがその場に残る。シュシュティン・アヴェモ、青木涼子が東洋、西洋の違いを乗り越え、素晴らしいオペラを作り上げていた。

 マーラー「大地の歌」は元来、交響曲である。中国の詩人たちの作品をドイツ語に訳したハンス・ベートゲ「中国の笛」による。李白、王維、孟浩然の詩を取り上げたマーラーは、妻アルマと建築家ヴァルター・グロピウスとの関係に翻弄されていく。そんなマーラーの思いが、この作品を生んだ。夏を過ごしたトブラッハ(ドッビアーゴ)の家は、山峡の中にあったためか、永遠なるものへの思いも強かった。アルマとは一方通行な関係にあったため、アルマがうつ状態になり、アルコール依存となった。それが、グロピウスとの関係に繋がったともいえようか。酒の中に人生のはかなさを歌った李白、別れとさすらい、死への思い、永遠への思いを歌った孟浩然、王維への共感が滲み出ている。ベンヤミン・ブルンズ、藤村美穂子が素晴らしい歌唱を見せ、マーラーの晩年を描き出した。

 コンテンポラリー・クラシック。ヘルムート・ラッヘンマン「動き」はカブトムシが死に至るまでの過程を描いたもの。生の終りを感じさせた。ピエール・ブーレーズ「メモリアル」は、28歳で急逝したアンサンブル・アンテルコンタンポランのフルーティスト、ローレンス・ポールガール(1956-1985)への追悼。聴き応えある作品であった。マーク・アンドレ「リス」から、ジョルジュ・リゲティ「ピアノ協奏曲」。アフリカ音楽に基づく作品で、ピアノを見事に生かした傑作。永野秀樹が素晴らしい。今年のテーマ作曲家、マティアス・ピンチャー「ペレシード(始まり)」には、ヨーロッパの源、キリスト教が感じられた。

 アンサンブル・アンテルコンタンポラン、ピンチャーの演奏がこの素晴らしいコンサートを生み出した。見事な一時だった。

バッハ・コレギウム・ジャパン 第143回定期演奏会 ケーテンの愛

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第143回定期演奏会は、バッハとアンナ・マグダレーナとの結婚300年記念として「ケーテンの愛」と題し、ケーテン時代のバッハの作品を中心に取り上げたものとなった。(東京オペラシティ コンサートホール)

 まず、管弦楽組曲、第4番、BWV1069で幕を開けた。序曲の華々しさからブーレ、ガヴォット、メヌエット、歓びへと至る。鈴木雅明の円熟した指揮ぶりが聴きものだった。歌心も十分感じられた。アンナ・マグダレーナの音楽帳からの歌曲、アリアはたっぷりした情感豊かな歌唱が聴けた。松井亜希、澤江衣理、青木洋也、渡辺祐介の持ち味が生きていた。

ブランデンブルク協奏曲、第5番、BWV1050。少人数による演奏で、鈴木のチェンバロの見事さ、若松夏美の堅実さ、鶴田洋子の線のしっかりしたフルート・トラヴェルソが調和していた。

 後半はカンタータ、第120a番、BWV120a。1729年、ライプツィッヒ時代の作品で、結婚式のためのカンタータで、神の前で夫婦となった男女への祝福と共に、結婚生活への希望・信仰を歌い上げた名品である。ここでも、松井・青木・櫻田・渡辺の見事な歌唱、鈴木の円熟した指揮ぶりが光った。アンコールはロ短調ミサ曲、BWV232、クレード。第1曲の合唱がこの名作に取り入れられたことによる。

 バッハのケーテン時代では、器楽作品が目立つものの、教会作品は少ない。レオポルト侯がカルヴァン派だったことが大きく、ルター派は弾圧されていた。一方、レオポルトの母、ギーゼラ・アグネスはルター派貴族出身、ルター派の住民の保護に当ったものの、レオポルト侯と対立、内紛も起こった。バッハがケーテンを去った理由はここにあった。住みにくい町だったケーテンを去り、ライプツィッヒに移ったものの、こちらの方がバッハは苦労した。このコンサートで、ケーテン時代のバッハの作品を取り上げたことは評価したい。

調布国際音楽祭 鈴木雅明 バッハ・コレギウム・ジャパン

 調布国際音楽祭、フィナーレは鈴木雅明率いるバッハ・コレギウム・ジャパンによるバッハ、ブランデンブルク協奏曲、第1番、BWV1046、第4番、BWV1049、第6番、BWV1051、管弦楽組曲、第3番、BWV1068によるバッハ・プログラムである。

 ブランデンブルク協奏曲完成から300年を記念して第1番、第3番、第4番、第6番を取り上げてきた。改めて聴くと、第1番がホルン主体、第3番が弦楽器中心、第4番がヴァイオリン、リコーター中心、第6番がヴィオラ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェロ中心で、楽器の特性を生かした作品群であることに気づく。ことに、第6番はヴィオラ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェロ中心の渋みのある音色の中に暖かみが感じられる作品たることを感じ取った。

 管弦楽組曲、第3番の華麗さ、アリアの深さとの調和にも気づく。アンコールでアリアが演奏された時、頷けた。バッハの音楽の多様性の中の深さを改めて感じ取った一時だった。

調布国際音楽祭 鈴木雅明 フェスティバルオーケストラ

 調布国際音楽祭もクライマックスに入って来た。鈴木雅明、フェスティバルオーケストラによるコンサートは、モーツアルト、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」序曲、K.527、バッハ、ブランデンブルク協奏曲、第3番、BWV1048、ドヴォルジャーク、交響曲第9番、Op.95「新世界より」を取り上げた。(調布グリーンホール)

 モーツァルト。オペラの性格描写が見事、堂々たる演奏であった。バッハはバロック音楽の編成になり、チェンバロも入った。第2楽章はバッハ、3つのチェンバロのための協奏曲からの編曲で、味わい深い演奏。第1、第3楽章も見事なまとまりを見せていた。

 ドヴォルジャーク。ベーレンライター社の新原典版による演奏とはいえ、アメリカのドヴォルジャークの姿、チェコへの思いが切実に伝わって来た。第1楽章第1主題が全体の要として登場する。また、第2楽章の主題も登場して、全体の統一感を高めている。第4楽章は、全ての楽章の動機が姿を現し、全体の締めくくりとしている手法は、シューマンの影響ではないかと思わせた。

 鈴木雅明は、若い音楽家たちに古今の名曲を演奏するチャンスを与え、育成にも励んている。それが、次世代のオーケストラへの人材育成にも繋がっている上、鈴木の音楽活動にもプラスになっているとも言えよう。早く、新型コロナウィルスが収まることを祈りたい。

仲道郁代 ピアノリサイタル

 昨年、新型コロナウィルスの影響で延期となった仲道郁代のリサイタル。今回は「幻想曲の系譜」をテーマにモーツァルト、幻想曲、K.475、シューマン、幻想曲、Op.17、ベートーヴェン、ソナタ、第28番、Op.101、シューベルト、さすらい人幻想曲、D.760を取り上げた。(サントリーホール)

 シューマンでは、第3楽章が初稿版(ベートーヴェン、歌曲集「遥かな恋人に」Op.98の引用によるコーダ)を用いたことでは、シューマンの思いを伝えたかったことによる。実際、シューマンはクラーラとの交際を禁じられ、苦しい毎日だった。クラーラの父、フリードリッヒ・ヴィークは、結婚するなら酒・たばこは止めてしっかりしてほしかった。その思いがシューマンに伝わったとは言えないが。演奏としても、シューマンの思いのたけが伝わって来た。

 ベートーヴェンでは、アントーニア・フォン・ブレンターノ夫人への恋を清算、晩年の孤高の境地へと進みゆく心情が伝わった。シューマンを聴いた後で聴くと、ベートーヴェンとの繋がりが見えて来た。

 シューベルトは、リストへの道、単一楽章によるソナタ、ロ短調への繋がりを感じた。これも、ベートーヴェンとの繋がりを見ると、ソナタ、第13番、Op.27-1だろう。

 アンコールはドビュッシー、前奏曲集第1巻「亜麻色の髪の乙女」が一段と素晴らしい響きを伝えた。至福の一時だったといえようか。

 

日本フィルハーモニー交響楽団 第730回 東京定期演奏会

 日本フィルハーモニー交響楽団、第730回、東京定期演奏会は当初予定のピエタリ・インキネンが新型コロナウィルスのため来日できなくなり、新世代の音楽家、鈴木優人が指揮台に立った。(サントリーホール)

 ステンハンマル、序曲「エクセルシオール!」Op.13、シベリウス、ヴァイオリン協奏曲、Op.47、交響曲第6番、Op.104。北欧の作品によるプログラムである。ヴァイオリンは辻彩菜。

 ステンハンマルは日本でも「ステンハンマル友の会」ができたほど、近年注目されてきた。この序曲「エクセルシオール!」は、ブラームス、リヒャルト・シュトラウスの影響が強いにせよ、北欧の香りが漂う佳品。作品の魅力を伝える佳演だった。

 シベリウス、ヴァイオリン協奏曲は北欧の厳しい自然を伝える。辻の演奏も素晴らしい。オーケストラとの調和も考えられていた。

 交響曲第6番、Op.104では、形式を捨て去ったシベリウスの自由なファンタジーが伝わって来た。シベリウスは1929年以降、創作活動を止めてしまう。交響曲第8番の創作に携わるも、あまりにも孤高の存在となったため、創作の筆を進められなくなったことにある。ヤルヴェンバーの自然の中、かえって創作できなくなったと見るべきだろう。こちらも聴きごたえ十分だった。

 新世代の音楽家として注目される鈴木優人は11月、バッハ、平均律クラヴィーア曲集、第1巻のリサイタルが待っている。こちらも楽しみである。

 

NHK交響楽団 4月定期公演

 NHK交響楽団、4月定期公演(17日 東京芸術劇場)はバッハ演奏家、鈴木雅明が指揮台に立ち、ハイドン、交響曲第95番、Hob.Ⅰ-95、モーツァルト、オーボエ協奏曲、K.314、シューマン、交響曲第1番、Op.38「春」を取り上げた。

 まず、ハイドン。第1楽章の壮大さ、第2楽章の深い歌、第3楽章はメヌエットからスケルツォへと移り変わっていく時代背景が読み取れた。第4楽章のスケールの大きさ。ヨハン・ペーター・ザロモンの勧めでロンドンに赴いたハイドンの野心・意欲が読み取れた。

 モーツァルト。吉井瑞穂の歌心溢れるオーボエが素晴らしい。歌に満ちたモーツァルトの音楽の本質を伝えた演奏で、アンコールには讃美歌「神共にいまして」が演奏され、しみじみとした味わいに満ちていた。

 シューマン。第1楽章からオーケストラ全体の力を引き出す。スケールの大きな演奏で、ロマン主義の濃厚な歌をたっぷりと聴かせた。第2楽章もシューマンの本質たる深い歌心が伝わった。第3楽章のスケルツォもスケールの大きさと歌心が調和した演奏で、2つのトリオとの性格付けも見事だった。第4楽章も同様、オーケストラの力を最大限に発揮しつつも、シューマンのロマンをたっぷりと聴かせた。

 鈴木がシューマンに挑み、素晴らしい演奏を聴かせたことで、第2番、第3番「ライン」、第4番、できれば、ブラームスも聴きたい。実現するだろうか。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第142回定期演奏会 マタイ受難曲 BWV244

 バッハ・コレギウム・ジャパン、2021年のマタイ受難曲は新世代の音楽家、鈴木優人指揮、日本人ソリストによる演奏で、昨年のキャスティングとほぼ同じだったとはいえ、名演だった。(2日 サントリーホール)

 鈴木優人が初めてマタイを取り上げた時がラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでのコンサートだった。既に、自身のマタイ像を築き上げた鈴木優人が今回のコンサートでさらに深化したマタイを私たちの前に示した。第1曲「十字架の悲劇」からイエスが弟子たちを集め、最後となる過越の食事をする際、弟子の一人、イスカリオテのユダの裏切りを告げる聖書のドラマ、オリーヴ山での祈り、ユダヤ教大祭司カイアファたちに捕えられ、最高法院での死刑判決、ローマ総督ポンティウス・ピラトゥスの法廷で死刑が確定、十字架に付けられ、死を迎え、埋葬に至る悲劇を伝える卓越した演奏だった。最後の別れの合唱は感動的に響く。

 エファンゲリストの櫻田亮、イエスの加耒徹をはじめ、ソプラノの森麻季、松井亜希、カウンターテノールの久保法之、青木洋也、テノールの谷口洋介、バスの加藤博隆の真摯な歌唱が光る。鈴木優人のマタイ受難曲のCD発売も実現してほしい。

バッハ・コレギウム・ジャパン 第141回定期公演 ヨハネ受難曲 BWV245

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第141回定期演奏会はマタイ受難曲と並ぶ名作、ヨハネ受難曲、BWV245を取り上げた。(19日 サントリーホール)

 ソリストはエヴァンゲリスト、櫻田亮、イエス、加耒徹をはじめ、ソプラノ、松井亜希、カウンターテノール、

久保法之、テノール、谷口洋介であった。櫻田、加耒の歌唱が素晴らしい。エヴァンゲリスト、イエスを深く歌える歌手は日本ではこの2人だけだろう。殊に、加耒の成長ぶりが見事で、オペラ出演も増えるだろう。松井、谷口の歌唱にも成長の跡が窺える。久保にも成長が窺えた。日本のソリストたちが日々、成長して素晴らしい歌手としてオペラ、オラトリオなどの牽引車的存在になっていく。

 サントリーホールでのヨハネ受難曲は20年ぶりとはいえ、今回の方が深みを感じた。鈴木雅明の素晴らしい解釈力がこの作品をより深みあるものに仕上げている。4月2日、3日のマタイ受難曲もサントリーホールとなる。こちらは新時代の旗手となった鈴木優人で、楽しみである。

バッハ・コレギウム・ジャパン メンデルスゾーン エリアス Op.70

 バッハ・コレギウム・ジャパン、2021年最初のコンサートはドイツ・ロマン主義宗教作品の傑作、メンデルスゾーン、オラトリオ「エリアス」Op.70で幕を開けた。(東京オペラシティコンサートホール)

 メンデルスゾーン晩年の傑作、この時、スウェーデンのソプラノ、イェニ―・リンドとの再婚を考えていたこともあってか、リンドを意識した音域もある。しかし、リンドはメンデルスゾーンの求婚を断った。これがメンデルスゾーンの早世に繋がったと見る向きがある。

 ソリストはソプラノ、中江早希、アルト、清水華澄、テノール、西村悟、バス、加耒徹をはじめ、何人かのソリストたちが加わった。清水・加耒は二期会、西村は藤原歌劇団である。加耒の堂々たる歌唱がイスラエルの預言者、エリアスに相応しいものだった。西村も素晴らしい歌唱で聴かせた。中江が第1部で黒、第2部で赤のドレスを着用して、作品の雰囲気に合わせていた上、歌唱も見事だった。清水もエリアスの命を狙う王妃イゼベルで見せた歌唱も素晴らしかった。

 最近、加耒の歌手としての成長ぶりが著しい。2019年、二期会、黛敏郎「金閣寺」の鶴川からマタイでのイエスをはじめ、ベートーヴェンなどで見事な歌を聴かせ、一級の歌手になりつつある。リサイタルもあるという。西村もリサイタルがある。バッハ・コレギウム・ジャパンのコンサートでは外国から歌手を招聘することが通例とはいえ、新型コロナウィルスで日本人歌手たちがソリストとなり、見事な歌唱を披露している。日本人歌手たちの成長ぶりにも注目したい。

 鈴木雅明がメンデルスゾーンの音楽をしっかり自らのものとして旧約聖書、列王記、イスラエル王アハブ、バアル神を信仰する王妃イゼベルに対峙する神の預言者エリアスの物語を迫真の音楽として描きだした。アハブはイゼベルと共謀して農夫、ナボトのぶどう畑を横取りした挙句、アラムとの戦争で戦死、イゼベルは孫ヨラムと共にイスラエル王となった将軍、イエフに滅ぼされてしまう。ユダ王ヨシャファトはアハブとの縁組でユダ王国に混乱をもたらした。

 2月はサントリーホール、ヨハネ受難曲となる。楽しみである。

第64回 NHKニューイヤーオペラコンサート

 新型コロナウィルスの中、NHKニューイヤーオペラコンサートも第64回を無事に迎えた。今回は時世を象徴して「夢と希望」をテーマにベートーヴェン、交響曲第9番、Op.125、第4楽章の抜粋、ベッリーニ、ヴェルディ、プッチーニを中心としたイタリア・オペラの名曲、ヴァーグナーを中心としたプログラムとなった。(3日 NHKホール)

 2000年以来NHKホールに来場して21年、世代を代表するオペラ歌手たちの歌を聴きながら、日本のオペラ界、歌手の層が充実してきたことを実感した。歌手陣の世代交代も肌で感じ取ることが出来た。今回の歌手陣を見ると、二期会・藤原歌劇団の比率がほぼ半数であった。出演した歌手たちにとって、新型コロナウィルスで舞台に立てなくなったり、教職もままならなかったりして大変だっただろう。そんな中、このコンサートで音楽の力、歌の力を再認識した。

 歌手陣では、福井敬・村上敏明・望月哲也・妻屋秀和・森麻季・大村博美・幸田浩子・砂川涼子・林美智子といった、日本オペラ界をけん引する歌手たちが素晴らしい名演を聴かせた。また、新進の宮里直樹・伊藤晴をはじめ、油が乗って来た中村恵理・森谷真理・笛田博昭・上江隼人たちの歌唱にも聴かせる力があった。最後はヨハン・シュトラウス2世「こうもり」から「ぶどう酒の燃える流れに」で締めくくりとなった。何よりも、広上淳一が東京フィルハーモニー交響楽団から渾身の響きを導き、歌手たちをしっかり支えたこと、新国立劇場合唱団・二期会合唱団・藤原歌劇団合唱部の見事な響きが彩を添えた。

 今年のオペラ界が新型コロナウィルスを乗り越え、どのような発展を見せるかに期待しよう。

 

ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤーコンサート 2021

 2020年から全世界を襲い続ける新型コロナウィルスにも関わらず、2021年のヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューイヤーコンサートはリッカルド・ムーティのもと、無観客による開催となった。

 ミラノ・スカラ座を長年にわたって盛り立てたとはいえ、スカラ座を追われてもヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューイヤーコンサートの指揮台にも立ってきた。それだけ、ムーティへの信頼が厚いことを裏書きしている。

 プログラムにはイタリアゆかりの作品、ヨハン2世、新メロディー・カドリーユにはイタリア・オペラの旋律を含んだもので、イタリア・オペラの巨匠としてのムーティの面目躍如たるものがあった。美しき青きドナウ演奏の前、ムーティが新型コロナウィルスの中、音楽が希望をもたらすことをメッセージで伝え、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の楽員達の新年の挨拶が続いた。

 私たちは、新型コロナウィルスの中、コンサート・オペラ・バレエなど、舞台公演の中止・延期が相次いだ3月から6月までのことを思うと、今、音楽の力を改めて感じ取るには良い機会だろう。美しく青きドナウ、ヨハン1世、ラデツキー行進曲で締めくくりとなった。ただ、聴衆の手拍子がないことが寂しい。来年こそは復活することを切望する。

バッハ・コレギウム・ジャパン ベートーヴェン 交響曲第9番 Op.125

 バッハ・コレギウム・ジャパンがベートーヴェン生誕250年記念として、交響曲第9番を2回公演に分けて取り上げた。(東京オペラシティ コンサートホール 14:00)

 まず、鈴木優人のオルガンでバッハ、パッサカリアとフーガ、BWV582が演奏された。バッハの素晴らしいオルガン作品を耳にした後、交響曲第9番となった。

 鈴木雅明の素晴らしい解釈・統率力からベートーヴェン最後の大作、交響曲第9番がその姿を現した。もっとも、交響曲第4番、第5番を手掛けた自信に裏打ちされているからだろう。第1楽章のたたみかけるような演奏、第2楽章の推進力の素晴らしさは圧巻。第3楽章の深みある歌も忘れ難い。第4楽章。ソリストはソプラノ、森麻季、アルト、林美智子、テノール、櫻田亮、バス、加耒徹であった。加耒の堂々たる独唱から、シラー「歓喜に寄す」が歌われる。櫻田、森、林の歌唱も見事だった。ベートーヴェンが自由・平等・博愛を掲げたフランス革命の精神を高らかに歌い上げた名演だった。

 2020年は新型コロナウィルスのため、多くのコンサート・オペラが中止、延期となった。そんな中で、生誕250年を迎えたベートーヴェンを記念した交響曲第9番で締めくくったことは大きい。2021年、バッハ、ヨハネ受難曲となる。楽しみである。

バッハ・コレギウム・ジャパン 第138回定期演奏会 結成30周年記念コンサート

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第138回定期演奏会は結成30周年記念コンサートとして、第1回演奏会で取り上げたバッハ、カンタータ第78番「イエスよ、あなたはわが魂を」BWV78、マニフィカート、BWV243、鈴木雅明のオルガン独奏でファンタジアとフーガ、BWV542を取り上げた。

 このプログラムを取り上げた大阪、いずみホールでのコンサートでは、バッハ学者で国立音楽大学で長く音楽学学科の教鞭をとられた磯山雅氏の影響があったという。その磯山氏が大雪がもとで急逝されたことを思うと、感慨深い。また、合唱メンバーには二期会会員も参加、オペラで活躍する人材もいる。穴澤ゆう子、田村由貴江、小田川哲也、萩原潤、最近では大井哲郎、加耒徹などがいる。

 今回は首席指揮者となった鈴木優人が素晴らしい統率力を見せ、カンタータでの深い情感、聖書の言葉の意義をことごとく捉え、深みある表現を見せた。マニフィカトでのイエス・キリスト生誕への喜びが伝わって来た。

 ソリストでは松井亜希、澤江衣里、青木洋也、櫻田亮、渡辺祐介の歌唱が素晴らしい。終演時のカーテンコールで鈴木雅明、優人親子への惜しみない拍手も忘れ難い。ことに、父親を超える活躍ぶりを見せる鈴木優人の存在がかえって大きくなっている。

 27日、ベートーヴェン、交響曲第9番、2021年1月17日、メンデルスゾーン「エリアス」も聴き逃せない。楽しみである。

ゲルハルト・オピッツ ピアノリサイタル ベート―ヴェン 最後の3つのソナタ、バガテル

 ペーター・レーゼルと共にドイツ・ピアノ界を代表する大御所、ゲルハルト・オピッツがベート―ヴェン生誕250年記念として、ベートーヴェン、最後の3つのソナタ、最後のピアノ作品となった6つのバガテル、Op.126によるプログラムでリサイタルを行った。(11日 東京オペラシティ コンサートホール)

 新型コロナウィルスで外来演奏家の来日公演が中止・延期になったり、外来演奏家の招聘が困難になったため、日本人演奏家たちの活躍の場が増えた。それでも、夫人が日本人、親日家であるオピッツのリサイタルが実現したことを喜びたい。

 ベートーヴェン、最後の3つのソナタではオピッツの円熟した、味わい深い世界が広がった。第30番では、天国と現世との対比が描かれていた。第3楽章の変奏曲では、追憶の中に現世との別れを告げるかのようなベートーヴェンの心境を描いていた。第31番は、追憶と現世との闘いを描きつつも、闘いとの勝利を告げるかのような演奏だった。第32番では、現世の最後の闘いとしての第1楽章、この世への別れを告げる第2楽章が見事だった。

 ベート―ヴェン最後のピアノ作品となつた6つのバガテル、Op.126には、この時期のベートーヴェンの自由な境地を描き出していた。

 残念ながら、レーゼルのリサイタルが2021年10月に延期となった。仮に、実現していたら、ドイツ・ピアノ界の大御所の競演となり、話題性が増しただろう。その面では残念だったものの、新型コロナウィルスの終息を祈りたい。

横山幸雄 ベートーヴェン ピアノソナタ全曲演奏会

 ショパン連続演奏会、ベートーヴェンを中心としたベートーヴェン・プラスによるコンサートシリーズを続けて来た横山幸雄が、ベートーヴェン生誕250年記念として、2日間でピアノソナタ全曲演奏会を行った。(5日、6日 東京文化会館)

 5日はOp.49の2曲を含み、Op.2からOp.31まで、ベートーヴェンがヴィーンにやって来てから、ソナタでの新しい試みを行い、新境地を開いていった全18曲、6日はOp.53「ヴァルトシュタイン」、Op.57「熱情」、Op.78「テレーゼ」、Op.81a「告別」、Op.106「ハンマークラヴィーア」から、最後の3つのソナタに至る全14曲を2日間で演奏した。

 ベートーヴェン、ピアノソナタ全曲演奏会の場合、1回あたり4曲ずつ、日を分けて行うことが通例である。それを2日間で行ったことに、新型コロナウィルスでコンサートなどが延期・中止になった今だからこそできることがあるという、横山の意図が明確に読み取れた。

 全体を俯瞰すると、ほころびが生じたことも見受けられた。しかし、横山がベートーヴェン・ショパンが自己のレパートリーの中心であることへの思いが読み取れ、また、演奏家としての円熟味も感じられた。

 上野学園大学教授であった際、上野学園の経営問題での改革運動を試みて、教授の座を追われた悲運に見まわれたとはいえ、名古屋芸術大学・エリザベト音楽大学でも教鞭を取り、後進の育成に当たる姿は見事である。多彩な活動ぶりが注目を集めている。今後の活躍にも期待する。

バッハ・コレギウム・ジャパン 第140回定期演奏会 ベートーヴェン 交響曲第5番 Op.67 ミサ曲 Op.86 ハ長調

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第140回定期公演はベートーヴェン生誕250年にちなみ、交響曲第5番、Op.67、ミサ曲、Op.86、ハ長調によるプログラムであった。(東京オペラシティ コンサートホール)

 鈴木雅明は過去にベートーヴェンでは第4番、第5番、第9番、ミサ・ソレムニス、Op.123を取り上げて来た。第5番は調布国際音楽祭以来となった。私たちは、第5番を「運命」の名で親しんできた。レコード、CDでもシューベルト、交響曲第7番「未完成」との組み合わせでも耳にした。改めて、ピリオドオーケストラで聴くと、ベートーヴェンが意図したものがはっきり見えて来た。ベートーヴェンは、父親の存在を超越せんとした。酒飲みで、幼い頃から徹底したスパルタ教育を受けた父親。その父親を乗り越えた姿を表現せんとした。音楽家として名声を得んとして、ヴィーンなどへ出ようとしていた。初めてのヴィーンで、モーツァルトに接したものの、母親の病でボンに戻り、母親を看取る。ボンで教養を得て、ハイドンの誘いでヴィーンに出る。そして、音楽家として名声を得たとはいえ、耳の病が襲う。また、フランス移住も考えていた。これまでの総決算として生み出した交響曲であることを明確に示した。

 ミサ曲、Op.86、ハ長調はハイドンゆかりのエステルハーツィ侯爵からの依頼による。ベートーヴェンならではのドラマトゥルギーの表出も見所で、シューベルトはこれを聴き、音楽の道に進む決意を固めた。ミサ・ソレムニスと比べても遜色ない作品である。櫻田亮、加来徹をはじめ、中屋早希、布施奈緒子が素晴らしい歌唱を聴かせ、合唱も見事だった。このミサ曲ももっと、取り上げるべきではなかろうか。

 年末、交響曲第9番、Op.125の上演も決まり、楽しみである。

北とぴあ国際音楽祭 フランス・バロックオペラの栄華

 2020年の音楽界は新型コロナウィルスの影響で、外来演奏家・オーケストラのコンサートが軒並み中止・延期となった。また、当初、外来演奏家招聘によるコンサートでも、来日できなくなったため、日本人演奏家の出演機会が増え、名演が出ている。北とぴあ国際音楽祭にも影響が及び、リュリ「アルミード」上演がフランス・バロックオペラの栄華に変わった。(さくらホール)

 リュリ、マルカントワーヌ・シャルパンティエ、カンプラ、フランソワ・クープランの作品によるフランス・バロックオペラのアリア、重唱、組曲によるプログラムで、聴き応え・見ごたえ十分であった。後半は、上演予定の「アルミード」抜粋となった。波多野睦美・中嶋克彦・山本悠辱の見事な歌唱が光る。フランス語のディクションも十分だった。松本更羅のバロックダンスがコンサートに花を添えた。

 何よりも、朝倉聡の司会がコンサートに華を添え、楽しさいっぱいの一時となった。2021年12月10日、12日、「アルミード」上演の実現のみならず、新型コロナウィルスが収束に向かってほしい。