アメリカの音楽学者マーク・エヴァン・ボンズによる19世紀ドイツにおけるハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの交響曲受容史は、音楽の担い手が貴族のサロンから市民中心のコンサートホールへと移り行く中、当時の哲学者、文学者、音楽評論家たちが交響曲に何を聴き取ったか、ドイツ・ナショナリズムの高揚を捉えている。
1789年に起こった第1次フランス革命は、ドイツ・オーストリア社会に大変革をもたらした。ナポレオンの登場によりドイツ・ナショナリズムが高揚する一方、近代市民社会成立には程遠い状況であった。領邦国家集合体のドイツが統一国家となったのが1871年、プロイセン王国中心のプロイセン・ドイツ帝国成立により、かつてのドイツの中心だったオーストリア帝国がオーストリア・ハンガリー帝国として余命を伸ばさざるを得なかった。そんな中で、交響曲がドイツ人のナショナリズム発展の糧になったことは言うまでもないだろう。
その中でハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの交響曲がいかに受容、享受されたか。カント、E.T.A.ホフマン、ヘルダーに始まりシューマン、ヴァーグナー、ハンスリックに至るドイツ精神史、音楽史での交響曲の位置、市民による音楽祭の意義づけも行っている。その中でロマン主義作曲家たちの交響曲観を再考するにも大きな意義があろう。シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ブルックナー、ブラームスの交響曲の評価にもかかわって来る。
ロマン主義作曲家たちが交響曲を作曲するにあたり、ベートーヴェンの存在がかえって重荷になった背景には、ベートーヴェンの交響曲がドイツ・ナショナリズムに大きな影響を与えたことによる。ベートーヴェンの交響曲、とりわけ第9交響曲、Op.125、第4楽章がシラー「歓喜によす」による独唱、合唱のフィナーレでありドイツ精神、ナショナリズムの高揚に一役買った。これが大きいだろう。
これがハンスリックに至り、絶対音楽と標題音楽という区分け、ヴァーグナー派とブラームス派の音楽論争となっていく。20世紀に至ると音楽と政治との軋轢が本格化する。ボンズはそうしたことより、ベートーヴェン時代、19世紀初期の
市民社会に立ち戻る必要性を説く。
今、私たちは音楽に何を聴き取り、何を求めるか。その意味でボンズは重要な問いを発している。近藤譲、井上登喜子の訳は読みやすく、文章も整っている。一読をお勧めする。
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