日本を代表するピアニストの一人、中村紘子さんが大腸がんのため、72歳で亡くなった。経済高度成長期の日本、おけいこブームの火付け役となり、1959年、日本音楽コンクールで優勝、NHK交響楽団の海外演奏旅行に同行、桐朋女子高等学校音楽科を中退してニューヨーク、ジュリアード音楽院に留学、1965年、ショパンコンクールで4位となった。以来、日本はもとより、国際的な活躍を続けた。最近、大腸がんのため、コンサートを休演するようになった。
留学中、今までの日本で中心だった指を上げる奏法から、国際的に通用する指を伸ばす奏法を学んだことから、指を上げる奏法への嫌悪感が強かった。昭和初期の日本ではブライトハウプトの重力奏法が紹介されたり、レオニード・クロイツァーも重力奏法を奨励している。現在、中村が指摘するほど指を上げる奏法が広まっていない。日本のピアノ教育のレヴェルはかなり向上している。
一方、後進の育成にも力を入れ、チャイコフスキー・コンクール、ショパン・コンクールの審査員、浜松国際ピアノコンクールの審査委員長を務め、国際的レヴェルに押し上げた。また、NHK「ピアノとともに」の講師で名教師ぶりを発揮した。
ノンフィクション作家、エッセイストとして、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した「チャイコフスキー・コンクール」、「ピアニストという蛮族がいる」、「アルゼンチンまでもぐりたい」、「どこか古典派」、「国際コンクールの光と影」(NHK趣味講座のテキストで、番組も出演、この際、内容に問題があったようである。後に「コンクールでお会いしましょう」のタイトルで出版)がある。
ただ、「ピアニストという蛮族がいる」で久野久子を取り上げたものの、「作り話」に過ぎなかったことが判明した。昨年12月12日、日本音楽学会、東日本支部第34回定例研究会(慶應義塾大学 三田キャンパス)で行った「久野久子の留学と死 外交文書から明らかになった新事実」で、外務省外交史料館所蔵の久野の自殺に関する全文書を調査し、これまでの定説に代わる新説を打ち出した。久野の自殺は芸術家、音楽学校教授としての良心、留学前から悩みの種となっていた兄、久野弥太郎の飲酒が原因だったことが判明した。「奏法を酷評された」と理由づけた、中村の供述もこれで覆すこととなった。中村紘子の著作は「作り話」であり、日本を代表するピアニストがこのような類のものを残していたことは残念である。
そうした傷があっても、中村紘子が日本のピアノ界を押し上げ、盛り上げたことは確かであり、自ら小川典子、樋口あゆ子といった逸材を育て上げたことは大に評価すべきだろう。
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