ドイツ近現代史、日独文化移転史を専門とする竹中亨が近代日本の西洋音楽受容史の一つとして、明治期のヴァーグナー、ベートーヴェン受容を中心に、日本における西洋音楽受容史としてまとめた。
まず、明治期のヴァーグナー受容がオペラより、オペラの管弦楽曲、アリアなどのピアノ編曲によるものであった。日本での本格的なオペラ上演は、東京音楽学校でのグルック「オルフォィス」で、本格的なヴァーグナーのオペラ上演は、第2次世界大戦中、藤原歌劇団による「ローエングリン」であった。明治期の日本はオーケストラはもとより、オペラ劇場、歌手もいない。ヴァーグナーを知るには文献によるしかなく、多くの文人たちは舞台より断片的な音楽のみであり、ドイツ留学の機会に恵まれた場合、ヴァーグナーのオペラを堪能できた。
宗教学者姉崎嘲風の実例、近代日本創設に当たり、西洋音楽を受容して文明国の一員たらんとする明治政府は多くの留学生たちを欧米に派遣した。永井繁子、津田梅子をはじめとした女子留学生、音楽取調掛から東京音楽学校となってからの幸田延、滝廉太郎、島崎赤太郎、東京音楽学校に赴任したルドルフ・ディトリッヒ、アウグスト・ユンケル、ラファエル・フォン・ケーベル、ルドルフ・ロイターといった外国人教授たちにも詳しく言及している。また、キリスト教の影響、外国人教授たちが英語で授業を行っていたことに触れ、英語を通じてドイツ音楽を受容していたことが明らかになっている。
幸田が留学後、東京音楽学校教授、演奏家として華々しく活躍する一方、当時の男性中心社会のバッシングを受け、後半生「審声会」を作り、華族の子弟たちの育成に当たった。島崎赤太郎のライプツィッヒでの挫折、姿形を変えた先駆者たちの人生も描きだしている。
しかし、竹中が久野久子を取り上げているとはいえ、山本尚志、原田稔による新たな説、それらを踏まえた上で私が2015年12月12日、日本音楽学会、東日本支部定例会で発表した新説からしても通用しない。久野は自らの音楽家、教師としての良心からの自ら命を絶った。この点については山本、原田を参照してほしかった。
また、明治末期の「燃え尽き症候群」的な現象にも触れ、エリート育成が一段落して就職難が襲ったこと、音楽ジャーナリズムの成立、音楽家の人名表記も詳しく言及している。ヴァーグナー、ベートーヴェンをはじめ、西洋音楽を「頭」で聴く悪習が確立したこと、音楽評論家には音楽を実践、体験した者がいないことなど、今日に至る問題にも言及したことは大きいだろう。
その上でもご一読をお勧めしたい一冊である。
(中央公論社 2300円+税)
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崎山言世 (木曜日, 24 11月 2016 23:12)
湯原元一『易水想波』p748-の「天才の惨死」http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453048 をすでにお読みになられましたか。拙ブログで、竹中亨氏と瀧井敬子氏の書を、かなり詳細に論評させていただきました。幸田延と湯原元一の関係をもう少し読み解いていただきたかったです。
畑山千恵子 (金曜日, 25 11月 2016 09:19)
ありがとうございました。これも久野久子の評伝を書く際、参考にします。