フリッツ・ヴンダーリッヒ(1930-66)は階段から転落、35歳で夭折したドイツのテノール。その遺産も数少ないとはいえ、シューマン、詩人の恋、Op.48は貴重な遺産である。
ハインリッヒ・ハイネ(1797-1856)、「歌の本」、「抒情的間奏曲」によるもので、当初20曲で作曲、そのうち4曲が除外され、「詩人の恋」として16曲で出版となった。シューマンはハイネにも会ったものの、ハイネは冷淡だったという。ちなみに、シューマンが作曲した歌曲のうち、最も多く作曲した詩人がハイネだった。その中では、「詩人の恋」は傑作だろう。
ヴンダーリッヒの歌いぶりには、フィッシャー=ディスカウの素晴らしさ、プライのロマン性豊かな歌いぶりにないみずみずしさが感じられる。フーベルト・ギーセンのピアノがブンダーリッヒの歌を見事に引き立てている。シューマンの音楽の神髄を伝えている。第1曲「美しい5月に」から第6曲「聖なるラインの」までの恋の喜び、第7曲「恨まない」から第14曲「夜ごとの夢で」までの失恋の痛み、第15曲・第16曲での恋の回想にはシューマンがクラーラとの結婚へ近づきつつある時期、喜び・悲しみを振り返りつつ、これからの生活に踏み出そうとする意志が感じられる。とはいえ、クラーラの父、フリードリッヒ・ヴィークが反対したことにも一理あったことも忘れてはならない。
恋の喜び、結婚の実現。シューマンはクラーラがコンサートを開催、その収益で生活を立てることに甘んじていた。次第に、作曲家としての名声が高まり、作曲家として自立するようになったとはいえ、若い時に患った梅毒がもとで精神疾患が現れるようになった。指揮者としての適性も疑問視され、デュッセルドルフの音楽監督も辞任、ライン川に投身自殺を図ったものの、最後はボン郊外、エンデニッヒの精神病院で46歳の生涯を閉じる。
ハイネはパリに亡命、1856年2月に世を去った。シューマンはその7月に世を去った。共に、ドイツ・ロマン主義を代表する詩人、作曲家が同じ年に亡くなったことを見ても、一つの時代が過ぎたことになるだろうか。
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