ヴラディーミル・ホロヴィッツ 東京リサイタル 1986

 ヴラディーミル・ホロヴィッツが1983年に念願の初来日を果たしたリサイタルは、吉田秀和が「ひびの入った骨董品」と評したことで有名である。1986年の来日リサイタルは名誉挽回だろう。1983年の時は、体調が悪かったという。3年後、体調も持ち直し、ホロヴィッツの至芸を堪能できた。

 まず、スカルラッティ、3つのソナタ。L.33、L.23の素晴らしい歌心、L.23では、森の香り、狩りの角笛が聴こえた。L.224のみずみずしさ、歌心。素晴らしい芸術品である。

 モーツァルト、ピアノソナタ、K.330。第1楽章の歌とユーモア。コーダではいささかどぎつさも感じたものの、さすが、名人芸、味わい深さに満ちている。第2楽章では素晴らしい歌が絶品である。第3楽章の軽妙洒脱さ、それでも歌が流れている。いささかどぎつさがあれど、自然に聴こえる。至芸だろう。

 ラフマニノフ、前奏曲、Op.32-5。流れような抒情性、透き通る音色。ロシアの春の喜びが伝わってくる。Op.32-12、こちらはロシアの冬。凍り付く大地、降りしきる雪、北風が身に染みる風景だろう。たっぷりと歌い上げている。

 スクリャービン、練習曲、Op.8-12。激しい歌が私たちの心を掴んていく。ロシアの大地を思わせるような、スケールの大きさを感じた。

 シューマン、アラベスク、Op.18。シューマンのロマン薫る演奏。ミノーレ1での訴えかけるような歌、ミノーレ2でも訴えかける歌が響く。主部の絡みつくようなロマンも素晴らしい。コーダでの余韻たっぷりの歌も聴きものである。

 リスト、コンソレーション第3番、深々とした歌が聴きものである。リストは名人芸を誇示するようなピアノ作品から、音楽性を重んずるピアノ作品が増えていく。これもその一つ、歌の中に音楽が宿っている。忘れられたワルツ、第1番はユーモア、軽妙洒脱さ、歌が満ち溢れている。名人芸を誇示するより、音楽となっている。至福の時だった。

 ショパン、マズルカ、Op.63-3。ジョルジュ・サンドと別れ、イギリスに行き、パリに戻り、病気も悪化、死を覚悟したかのようなショパンの心が聴き取れた。

 シューベルト、楽興の時、D.780-3。深い歌心が聴き取れる。シューベルト=リスト、ヴァルス・カプリス、深い歌が素晴らしい。

 ショパン、マズルカ、Op.30-4。物悲しいポーランドの歌が深々と歌われる。味わい深い。スケルツォ、第1番、Op.

20、若きショパンの野心、ポーランドへの思いも歌われていく。それらが見事に融合した演奏となった。

 モシュコフスキー、練習曲、Op.72-6。ホロヴィッツの至高の芸だろう。至福の時の締めくくりとなった。仮に、1983年のリサイタルが、ホロヴィッツの体調がよかったなら、「ひびの入った骨董品」だっただろうか。それはわからない。

こちらの方が、本当のホロヴィッツだったことは確かだろう。