白血病のため、33歳で世を去ったルーマニアのピアニスト、ディヌ・リパッティ(1917-1950)のショパン、舟歌、Op.60。ヴィルヘルム・バックハウスはリパッティを我が子のように可愛がっていたという。
自分の余命が尽きるまで、ピアノに向かい続けたリパッティ。このショパンには、澄んだ音色、深い歌心の中に、ショパンと自分とを重ね合わせたようなものが聴き取れる。ショパンとサンドの関係が、サンドの娘、ソランジュの結婚問題がもとで破綻、イギリスのスターリング姉妹がショパンの痛手を癒そうと、ショパンをイギリスに招待した。スターリング姉妹、特に姉のジェーンがショパンをあちこち連れ回すようになったためか、かえって、ショパンの病状が悪化するだけだった。パリに帰り着いたショパンは、ベッドに寝たきりとなり、姉ルドヴィカがフランスにやって来て、面倒を見るようになった。サンドは、ルドヴィカがパリにいることを聞き、ショパンの様子を問う書簡を送っても、ルドヴィカは相手にしなかった。
リパッティは、すっかり憔悴しきったショパンと一体化して、深い歌心を込め、舟歌の影に潜むショパンの孤独をにじませている。いつ、この世を去る時が来るか。それを思いながら、ショパンの思いを歌い上げている。リパッティの貴重な遺産の一つである。
コメントをお書きください
ヒーローパパ (土曜日, 17 9月 2022 23:15)
解説文が良いですよ。日本でこの稀代のピアニストが、どこまで正当に評価されているのか、疑問に思いますが、こういった彼の素晴らしさを広めてくれる方がいるのは嬉しい限りです。
畑山千恵子 (日曜日, 18 9月 2022 07:48)
ありがとうございます。グレン・グールドがアメリカデビューした際、当時のアメリカ、コロムビアの関係者がグールドの演奏を聴き、
「リパッティの再来だ。」
と言い、グールドとの契約に乗り出しました。グールドがレコードデビューにバッハ、ゴールドベルク変奏曲を選び、ゴールドベルク伝説が始まりました。