ベートーヴェンはドイツ・オーストリアより、イギリス・フランスで自作を発表しようとした。1803年ー1804年、パリ移住計画を練っていたものの、ヴィーンでベートーヴェンの後援者の1人、マクシミリアン・フォン・ロプコヴィッツ侯爵がフランス行きを押しとどめた。交響曲第3番 Op.55「エロイカ」成立をめぐる背景には、ナポレオンの皇帝即位に怒ったベートーヴェンが拍子を破り捨てて、床に投げ散らしたという話が有名になったものの、ベートーヴェン晩年、秘書だったアントン・フェリックス・シントラーの捏造だったことがわかった。
ナポレオンをはじめ、フランスの音楽愛好家たちに自作を聴いてもらおうとするベートーヴェンの思いは強かった。1810年に作曲したミサ曲 Op.86をナポレオンに献呈しようとしたことも肯ける。フランス移住計画を考えるにあたり、晩年のイギリス行きへの伏線があるような気がする。
さて、ここに上げた、ウェリントンの勝利は戦争交響曲の名でも有名である。ベートーヴェンですら、ナポレオン戦争終結、ヴィーン会議に当たって、ヴィーンの名士として矢面に立った。カンタータ「光栄の時」Op.136のような、時流ものを作曲せざるを得なかったことは当然だろう。
ウォータルー(ワーテルロー)の戦いを題材にした作品には、アンダーソン・ギルマンのピアノ作品「ウォータルーの戦い」があり、ピアノの発表会のプログラムに出る作品である。ベートーヴェンの場合、作品として充実した響きを伝えている。
ヘルベルト・フォン・カラヤン、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏は、重厚な中に音楽としてしっかりした造形力がみなぎっている。ベート―ヴェン生誕200年記念全集の中にあっても、決して安っぽくない内容である。この頃のカラヤンの方が音楽として充実している。1960年代のカラヤン、ベート―ヴェン交響曲全集、1980年代の全集の方が、本領を発揮している。じっくり聴き直したい。
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