ベルリン・フィルハーモニー八重奏団員 ブラームス 弦楽六重奏曲 第1番 Op.18

 ベルリン・フィルハーモニー八重奏団員によるブラームス 弦楽六重奏曲 Op.18。1968年、ヘルベルト・フォン・カラヤン時代の録音である。カラヤン絶頂期のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の姿を映し出している。この時期、ヴィオラに土屋邦雄が入っていた。

 若きブラームスの抒情性、当時、恋愛関係にあったアガーテ・フォン・シーボルトへの思い、婚約に至ったものの、ピアノ協奏曲 第1番 Op.15の初演が失敗に終わったこと、クラーラ・シューマンの影が付きまとったせいか、婚約解消となった。

 第1楽章の伸びやかさ、抒情性豊かな歌が一体となって、素晴らしい世界を産み出している。第2楽章、ブラームス自身、ピアノに編曲したこともあって、演奏するピアニストたちがいる。映画に使われたこともあって、有名になっているとはいえ、ブラームスの葛藤が滲み出ている。厳粛さが見事である。第3楽章。スケルツォの軽妙さ、歌心が調和する主部、トリオの舞曲風な闊達さのコントラストも素晴らしい。第4楽章、伸びやかなロンド主題には、ブラームスの忘れ難い思い出が滲み出ている。若きブラームスの思いがあふれ出ていた。

 土屋は、ザビーネ・マイヤー事件について、オーケストラとしてはダメという主張だったと語る。いくら、カラヤンが入れたいとしても、オーケストラ全体としても合わないマイヤーを迎え入れることはできなかった。1974年以降、カラヤンには病気・けがなどが目立ってきた。カッコよさ・さっそうとした姿を見せても、歳に勝てなかったことを認めようとしなかったカラヤンは、1980年代には少しずつ老いが忍び寄りつつあったことを悟っていた。

 1989年4月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を去ったカラヤンは3か月後、7月16日、客となっていた大賀典雄の前でこの世を去った。やはり、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は重い存在だっただろう。その時、土屋をはじめとした楽員たち、日本人コンサートマスターとなった安永徹の衝撃は大きかっただろう。

 土屋が日本人初のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の楽員となってから、コンサートマスターに安永、清水直子、町田琴和、伊藤マレーネ、樫本大進も安永に続く日本人コンサートマスターとなり、今日に至っている。

 そんな中で、カラヤン絶頂期のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の姿を映し出したブラームスを心行くまで味わうことができた。1つの記録として残るだろう。