
テレビ朝日「題名のない音楽会」1月26日、84歳で亡くなった、日本が生んだ世界的マエストロ、秋山和慶の足跡を辿った。小澤征爾と共に斎藤秀雄に学び、斎藤メソッドを確立、教育者としても普及に取り組み、日本指揮者協会会長に就任した。
東京交響楽団常任となった矢先、楽団解散の危機に直面、黛敏郎が楽団救済のため、「題名のない音楽会」を始めた。秋山・黛との対談でも言及した。黛は無名だった武満徹にピアノを贈ったことでも知られる。黛のダンディズムから出たことだった。ただ、黛の政治発言には批判もあった。
わかりやすい指揮、どんなジャンルでもこなす、名声を利用しない、後進育成。秋山の偉大さがある。小澤にも通ずるものがある。美空ひばりがクラシック、プッチーニ「トスカ」より「歌に生き 愛に生き」に挑んだ場面を見ると、恩師、西田幸子先生が太鼓判を押したことを思い出した。オペラ歌手たちはどう聴いたか。声を聞きたい。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に呼ばれても、東京交響楽団のコンサート第一にしたことは見事だった。自分の立ち位置をしっかり見据えていた。それでも、カナダ、バンクーバー交響楽団、アメリカ、アメリカ交響楽団の常任も務めることとなった。アメリカ交響楽団の場合、レオポルト・ストコフスキーのお声掛だったというから、抗しきれなかっただろう。
世界的マエストロになっても、日本を重んじる姿勢。小澤と同じだったかもしれない。日本と世界で素晴らしい活躍を果たしたこと。小澤に匹敵する。共に斎藤秀雄に学び、斎藤の偉業を伝えるサイトウ・キネン・オーケストラを創設、フェスティバルに発展、セイジ・オザワ・松本フェスティバルとなり、世界的に注目されるようになった。
後進の育成にも熱心で、小林愛美をはじめ、亀井聖矢などとの共演、ジュニア・オーケストラとの共演も重ね、若い演奏家を育てた。小澤も若き演奏家たちを育てただけではなく、多くの人々にヤル気を与えた。秋山もヤル気を与えた音楽家として、忘れてはいけない存在だったことを思った。
秋山の言葉を引用する。
「私が理想とするのは、指揮者が目立たずオーケストラが素晴らしい演奏をすることです。」
指揮者の本質を突いた言葉として、心に響く名言である。
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