ヘルマン・プライ シューマン 詩人の恋 Op.48

 ヘルマン・プライ、シューマン 詩人の恋 Op.48。ヴァルター・クリーンと共演した1962年の演奏。カール・エンゲル、レオナルド・ホカンソンとの共演がCDとなって、多くの人々が聴いている。

 第1曲「美しい5月に」から詩人の恋心が高揚、第6曲「清きラインの流れに」で頂点に達する。第7曲「恨まない」から失恋の思いが募り、第14曲「夜ごとの夢で」で諦念に達する。第15曲「おとぎ話から」、第16曲「昔の古い歌を」では回想、全てを捨てて生きる、新しい姿を描く。

 「おとぎ話から」ではベートーヴェン動機を用いている。この場合、おとぎ話の世界に遊びながら、現実の世界へと戻っていく詩人の心境を歌う中で、今までの余韻として用いた可能性がある。「昔の古い歌を」では、全てを捨て去って、新しく生きる詩人の姿を描く。シューマンの心の中で、恋の成就・結婚の喜びを歌いつつも、いずれ、自分が早死にするような予感を抱いたかもしれない。

 クリーンとの共演は、エンゲル、ホカンソンとの共演の陰に隠れているものの、プライの真価を伝えたものとして評価したい。みずみずしさに満ち溢れ、プライの魅力を伝えている。1997年、サントリーホールでのシューベルティアーデが最後の来日となった。この時は、ミヒャエル・エンドレスとの共演、シューベルトの真髄を伝えた名演だった。1998年、69歳でこの世を去り、その死は多くの人々に惜しまれた。

カール・ベーム ベートーヴェン ミサ・ソレムニス Op.123

 カール・ベーム、ベートーヴェン、ミサ・ソレムニス、Op.123。ソプラノ マーガレット・プライス、アルト クリスタ・ルートヴィッヒ、テノール ヴィエスワフ・オスマン、バス マルティ・タルヴェラ。オルガン ペーター・プラニアフスキー、ヴァイオリン・ソロ ゲルハルト・ヘッツェル。ヴィーン国立歌劇場合唱団。ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団。

 キリエ。ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ヴィーン国立歌劇場合唱団がベームに見事に応え、素晴らしい世界を作り上げている。ソリストたちもベームに見事に応え、ベートーヴェンの音楽が広がっていく。

 グローリア。急ー緩ー急を取り、プライス、オスマンをはじめ、ルートヴィッヒ、タルヴェラの歌唱が素晴らしい。重唱部が絶妙で、心に響く音楽となっている。ヴィーン国立歌劇場合唱団も見事に応じ、大きな世界を形作っている。

 クレード。壮麗さが際立つ。ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団が、ベームの指揮に応えている。中間部、イエス・キリストの生誕から十字架への苦しみ、ソリスト、合唱、オーケストラが一体化している。キリスト復活、昇天では見事なまとまりを見せる。

 サンクトゥス、ベネディクトゥス。サンクトゥスでの重唱の美しさ、オザンナの壮麗さが見事である。ベネディクトゥスでは、ゲルハルト・ヘッツェルのソロが聴ける。1992年、ザルツブルク、ザンクト・ギルゲンで登山中に転落、52歳で世を去ったコンサートマスターが渾身のソロを聴かせていく。ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート・マスターに相応しい存在だったと評価は高い。カラヤン、ムーティも絶賛するほどだった。ルートヴィッヒ、タルヴェラからオフマン、プライスへと受け継がれ、四重唱となり、合唱も加わり、素晴らしい世界を生み出す。この作品を作曲中、ベートーヴェンが愛した女性、ヨゼフィーネ・フォン・シュタッケルベルク男爵夫人が41歳で亡くなった。ヴァイオリン・ソロも、ヨゼフィーネへの思いがにじみ出ているかのようである。

 アニュス・デイ。タルヴェラが淡々と歌い、合唱が加わる。ドーナ・ノーヴィス・パーチェムでは、プライス、オフマンが見事な歌唱を聴かせ、四重唱となる。合唱も加わり、音楽は高揚する。ティンパニ・トランペットが戦争の響きを告げる箇所では、ナポレオン戦争の余韻か。しかし、平和で安らぎのある響きから、力強い締めくくりとなる。

 ベートーヴェンは、オーストリア帝室では唯一の後援者・理解者・弟子であったルドルフ大公がチェコ、モラヴィア、オルミュッツ(現オロモウツ)大司教に任ぜられたため、叙任式のために作曲した。1820年、大公の叙任式が行われたにもかかわらず、ミサの完成は遅れ、1823年完成となった。初演は1824年4月18日、ロシア、サンクトペテルブルク。ベートーヴェンは、ロシアでのベートーヴェンの音楽の支援者、ニコラウス・ガリツィン侯爵に筆写譜を送り、初演を依頼した。返礼として、ベートーヴェンは、ガリツィン侯爵のために晩年、Op.127,130,133のガリツィン四重奏曲セットを作曲、献呈している。

 ちなみに、ルドルフ大公は、ベートーヴェンをオルミュッツに宮廷楽長として招くことを考えていた。実現したら、甥カールをめぐる悲劇が起こったかを考えると、どうか。

 全体を聴くと、ベームならではの芯の通ったベートーヴェンの音楽がずっしりとのしかかって来た。1981年、87歳の誕生日の2週間前、ザルツブルクで世を去ってから41年、今でもその重みは忘れられない。

フリッツ・ヴンダーリッヒ シューマン 詩人の恋 Op.48

 フリッツ・ヴンダーリッヒ(1930-66)は階段から転落、35歳で夭折したドイツのテノール。その遺産も数少ないとはいえ、シューマン、詩人の恋、Op.48は貴重な遺産である。

 ハインリッヒ・ハイネ(1797-1856)、「歌の本」、「抒情的間奏曲」によるもので、当初20曲で作曲、そのうち4曲が除外され、「詩人の恋」として16曲で出版となった。シューマンはハイネにも会ったものの、ハイネは冷淡だったという。ちなみに、シューマンが作曲した歌曲のうち、最も多く作曲した詩人がハイネだった。その中では、「詩人の恋」は傑作だろう。

 ヴンダーリッヒの歌いぶりには、フィッシャー=ディスカウの素晴らしさ、プライのロマン性豊かな歌いぶりにないみずみずしさが感じられる。フーベルト・ギーセンのピアノがブンダーリッヒの歌を見事に引き立てている。シューマンの音楽の神髄を伝えている。第1曲「美しい5月に」から第6曲「聖なるラインの」までの恋の喜び、第7曲「恨まない」から第14曲「夜ごとの夢で」までの失恋の痛み、第15曲・第16曲での恋の回想にはシューマンがクラーラとの結婚へ近づきつつある時期、喜び・悲しみを振り返りつつ、これからの生活に踏み出そうとする意志が感じられる。とはいえ、クラーラの父、フリードリッヒ・ヴィークが反対したことにも一理あったことも忘れてはならない。

 恋の喜び、結婚の実現。シューマンはクラーラがコンサートを開催、その収益で生活を立てることに甘んじていた。次第に、作曲家としての名声が高まり、作曲家として自立するようになったとはいえ、若い時に患った梅毒がもとで精神疾患が現れるようになった。指揮者としての適性も疑問視され、デュッセルドルフの音楽監督も辞任、ライン川に投身自殺を図ったものの、最後はボン郊外、エンデニッヒの精神病院で46歳の生涯を閉じる。

 ハイネはパリに亡命、1856年2月に世を去った。シューマンはその7月に世を去った。共に、ドイツ・ロマン主義を代表する詩人、作曲家が同じ年に亡くなったことを見ても、一つの時代が過ぎたことになるだろうか。

松本隆の訳詞によるシューベルトの歌曲

 テレビ朝日「題名のない音楽会21」で、松本隆の訳詞によるシューベルトの歌曲、遺作となった「白鳥の歌」D.957からハインリッヒ・ハイネによる「海辺にて」、「ドッペルゲンガー」、ザイドルによる「鳩の使い」を取り上げた。ソプラノ、森麻季、テノール、鈴木准の歌唱から聴くと、ハイネ、ザイドルの詩のエッセンスはむろん、シューベルトの本質が伝わって来た。

 森、鈴木の歌唱を聴いても、自然に歌い上げていた。この方が聴き手にもわかりやすいし、原語(ドイツ語)歌唱よりも日本人の心に伝わってくる。かつての日本語訳は門馬直衛、堀内敬三などが中心で、訳詞による歌唱でもわかりにくさ、歌いづらさがあった。松本の訳にはわかりやすさ、歌いやすさがある。

 松本はロックバンド、はっぴいえんどでの自作自演による作詞経験から作詞家になり、日本のポップス界に多くの詩を提供してきた。歌いやすさ、わかりやすさ。それがクラシックの歌曲の訳詞にも息づいている。門馬、堀内の訳詞は歌いやすさ、わかりやすさには欠けた面もあっただろう。松本の訳詞のように、わかりやすさ、歌いやすさがあれば、声楽曲も聴き手が増えるだろう。

 松本がポップスの世界から、クラシック音楽の訳詞に新風をもたらしたことは大きい。門馬、堀内のような歌いにくく、わかりにくい訳詞は、今の私たちからすれば古臭さばかりが目立つだけだろうか。

 

ヴォルフガング・サヴァリッシユ ブラームス ドイツ・レクイエム Op.45

 

 NHK交響楽団名誉指揮者として日本の聴衆に親しまれ、バイエルン国立歌劇場を盛り立てたヴォルフガング・サヴァリッシュ(1923-2013)の遺産の一つ、ブラームス、ドイツ・レクイエム、Op.45。

 ブラームスの声楽作品の大作、自分を世に送り出したシューマン、母ヨハンナ・ヘンリーカ・クリスティアーネの追悼として作曲。ローマ・カトリックの典礼文によらず、旧約・新約聖書の聖句のドイツ語訳、マルティン・ルター訳によるもので、大切なものを失った人々への希望の歌、癒しの歌として書き上げた。

 第1楽章「悲しむものは幸いかな」を聴くと、ブラームスの音楽の本質、冷たさの中にある暖かさが伝わる。バイエルン放送合唱団がブラームスの奥深さをしっかり歌い上げている。第2楽章「人は草の如く」には神の前での人間の無力さを歌い上げる。オーケストラも渋みの中に暖かさ、大きさを秘めている。「涙の取り入れをしたものは喜びつつシオンに帰る」での喜びの力強い表現。希望である。第3楽章「主よ、告げたまえ」はバリトン独唱が加わる。トーマス・アレンの朗々たる歌いぶりは聴きもの。人間の苦悩を歌い上げ、合唱が喜びを告げる。ヴィーン楽友協会での3楽章による初演が失敗したものの、ブレーメンでの初演が成功する。第4楽章「主の住まいは幸いなり」は合唱が天上の喜びを歌う。第5楽章「悲しみの中にいる者は」はソプラノ独唱による。マーガレット・プライスの真摯な歌唱が聴きもの。ブラームスはバリトン独唱、合唱、オーケストラによる6楽章としていたものの、ソプラノ独唱が加わることで清澄さと癒しの心を表現したものであろう。第6楽章「地に永遠の都なし」

もバリトン独唱が加わる。人の世の虚しさを歌いつつ、天上の救いを高らかに歌う。アレンの独唱の力強さが救いへと繋げる。第7楽章「死する者は幸いなり」は死者への追憶と共に希望を歌い上げて行く。バイエルン放送交響楽団も最上の演奏を聴かせている。

 サヴァリッシュはヴィーン交響楽団を指揮したブラームス交響曲全集もある。こちらもじっくり聴きたい。

 

 

ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ 東京ライヴ 1974

 

 ドイツを代表する大歌手、ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ(1925-2012)が1974年、東京文化会館で行った、ハイネの詩によるシューマン・リサイタルのライヴ録音。これはFM東京「TDKオリジナルコンサート」が録音、放送されたもので、外来オーケストラ、演奏家たちのコンサートを取り上げ、いくつかCD化されてきた。

 1974年のフィッシャー=ディスカウの素晴らしい歌唱、日本を代表する名室内楽奏者、チェンバリスト、小林道夫を迎えてハイネとシューマンの世界が繰り広げられていく。「海辺の夜」Op.45-1、「春の夜に霜が降りた」Op.40-1、「緩やかに走る僕の馬車」Op.142-2がたっぷりと歌われ、リーダークライス、Op.24では恋の憧れと失恋、回想が歌われる。名作、詩人の恋、Op.48。第1曲「美しい5月に」から春の喜びとともに開いた恋の思いを歌い上げ、憧れが高揚する。第6曲「清き流れのラインに」の堂々とした歌いぶり、恋の絶頂。第7曲「恨みなし」から失恋の悲しみが始まる。切実な歌いぶりが見事である。第11曲「ある若者」のアイロニー、第12曲「明るい夏の日」ににじみ出る悲しみ、第13曲「夢の中で泣いた」に引き継がれ、悲しみが深くなる。第14曲「夢のたびに」の諦めから第15曲「古いおとぎ話」へと至る。第16曲「古い歌を」では最後の審判を思わせる面もある。しかし、後のシューマンを暗示するような面もある。

 アンコールでは「君は花の如く」Op.25-24、「自由な心」Op.25-2、「新緑」Op.35-4、「美しい異郷」Op.39-5、「孤独」Op.25-5。ゲーテ、ケルナー、アイヒェンドルフの詞による。シューマンの世界が広がり、素晴らしい余韻となった。

 

 

東敦子 日本歌曲リサイタル

 

 日本を代表するソプラノ歌手、東敦子(1936-1999)はイタリア・オペラ、殊にプッチーニ「蝶々夫人」では定評があった。世界的プリマドンナであっても、日本人である以上、日本歌曲に立ち戻ってくる。1989年10月7日、東京文化会館小ホールでのリサイタルのライヴとはいえ、その素晴らしい歌唱には言葉も大切にしながら、作品の詩情が伝わって来る。

 別宮貞雄「淡彩抄」、山田耕筰「風に寄せてうたへる春の歌」、高田三郎「ひとりの対話」をによるブログラムで、アンコールは平井康三郎「平城山」、日本古謡「さくらさくら」、山田耕筰「曼珠紗華」「中国地方の子守歌」である。

 別宮作品に流れる追憶と悲しみ、山田作品の春の詩情。これらが自然と沸き立って来る。高田作品は高野喜久雄の詞による。高野の詞には代表作となった合唱組曲「水のいのち」がある。心の対話を描きだす。アンコールに入っても「平城山」の深さ、「さくらさくら」でも一点もゆるがせにしない歌唱、「曼珠紗華」のしっとりとした詩情、「中国地方の子守歌」も名唱だろう。

 当日のピアノを担当した横山修二が東への素晴らしいサポートを見せている。歌曲、室内楽専門のピアニストほど大切なものはない。こうしたピアニストこそ、音楽を理解しているし、侮れない。ソロ・ピアニストより難しいだろう。

 世界的プリマドンナであれ、自国の歌こそ原点だろう。その意味で、このリサイタルがCDで残ったことは大きな意味がある。

 

 

鈴木雅明 バッハ・コレギウム・ジャパン バッハ カンタータ第31番 BWV31「天は笑い、地は歓呼す」

 

 バッハのイースターにちなんだカンタータはBWV4、31のみである。他に「復活祭オラトリオ」BWV249がある。このカンタータの解説は先ごろ、急逝した磯山雅氏による。BWV4では受難を振り返りつつ復活を歌うのに対し、BWV31はキリスト復活を喜ぶ感情に満ちている。バッハのヴァイマール時代の作品で、宮廷音楽家だったバッハの面目躍如だろう。

 テノールのゲルト・テュルク、バスのペーター・コーイの素晴らしい歌唱が聴きものである。ソプラノのモニカ・フリンマーの清純な歌唱も光る。

 オーケストラは寺神戸亮を中心に素晴らしいまとまりを見せている。鈴木秀美のチェロも聴きものだろう。オーケストラ・リベラ・クラシカを結成して独立、指揮者としても読売日本交響楽団などにも登場している。冒頭の合唱、コラールも光る。コラールの余韻が素晴らしい。

 

 

ルドルフ、エールハルト・マウエスベルガー ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 ライプツィッヒ聖トーマス教会合唱団 ドレースデン聖クロイツ教会合唱団 バッハ マタイ受難曲 BWV244

 

 ルドルフ、エールハルト・マウエスベルガーがライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ライプツィッヒ聖トーマス教会、ドレースデン聖クロイツ教会合唱団を指揮したバッハ、マタイ受難曲、BWV244は1970年1月、ドレースデン、ルカ教会でのレコーディング、旧東ドイツ時代である。この時期にこれだけ充実したマタイ受難曲の演奏を残していたことは驚くべきである。ゲヴァントハウス管弦楽団はクルト・マズアを常任に迎え、1973年、旧東ドイツと日本との国交樹立を機に日本への来演も多くなり、聖トーマス教会合唱団も来演するようになった。

 歌手陣ではペーター・シュライヤー、テオ・アダム、アンネリーゼ・ブルマイスター、アデーレ・シュトルテが中心となっている。何といってもシュライヤーのエヴァンゲリスト、アダムのイエスが聴きものだろう。後にトーマス・カントールとなったハンス・ヨアヒム・ロッチュもソリストとなっている。また、ギュンター・ライプも加わっている。ブルマイスター、シュトルテの深みのある歌唱も素晴らしい。ロッチュ、ライプの歌唱も一聴の価値がある。

 全体にゆったりしたテンポを取り、冒頭の合唱からイエス・キリスト受難物語が始まっていく。最後の晩餐、イエスの逮捕と大祭司カイアファの裁判、ローマ総督ポンティウス・ピラトゥスの裁判で十字架刑を言い渡され、ローマ兵に侮辱され、十字架につくイエス。合唱が素晴らしい効果を上げていく。シュライヤー、アダムが迫真のできである。イエスへの別れを告げる合唱の何と感動的なことか。必聴である。

 

 

カール・リヒター ミュンヒェン・バッハ管弦楽団・合唱団 バッハ マタイ受難曲 BWV244

 

 カール・リヒターの貴重な遺産の一つ、バッハ、マタイ受難曲、BWV244。ここでも磯山雅氏の解説がある。リヒターには晩年、フィッシャー=ディスカウ、ペーター・シュライヤーを迎えたマタイがある。これは、カラヤンの演奏に対抗したものだろう。こちらは1958年、リヒター絶頂期の演奏で、エルンスト・ヘフリガーをエヴァンゲリスト、キート・エンゲンをイエスに迎えた名演中の名演である。

 冒頭の合唱の重々しさ。ゴルゴタの丘へ向かうイエス・キリストを思わせる。コラールにせよ、エヴァンゲリストの語りも重々しさに満ちている。ゆったりしたテンポがかえってキリスト受難を象徴している。エンゲンの重々しい歌唱ぶりからも窺われる。ヘルタ・テッパー、イルムガルト・ゼ―フリートの真摯な歌唱が活きる結果となった。また、ヘフリガーはアリアも歌っている。アリアも真摯な歌いぶりである。フィッシャー=ディスカウの名唱が華を添える。

 リヒターは重々しく、ゆったりとしたテンポでキリスト受難を提示する。そこにミュンヒェン少年合唱団も加わり、素晴らしい効果を上げている。第1部の締めくくり「汝の罪を嘆け」は絶品である。イエス・キリストの裁判ではドラマティックな効果が素晴らしい。ローマ総督、ポンティウス・ピラトゥスの裁判でイエス、バラバのどちらを許すかと問う場面で頂点に達する。十字架刑を言い渡されたイエス、ローマ兵の嘲笑に会うイエス。その心境を見事に捉えている。ゼ―フリート、テッパー、フィッシャー=ディスカウが見事に歌う。ゴルゴタに着き、息を引き取る姿。それと共に起こった天変地異。居合わせた人々が「これこそ、神の子」とつぶやく。イエスの埋葬、墓にぬかずく人々の悲しみ。それらが見事に描かれている。「マタイ」を語るなら、絶対に聴くべき名演である。

 

 

鈴木雅明 バッハ・コレギウム・ジャパン バッハ マタイ受難曲 BWV244

 

 バッハ・コレギウム・ジャパン、バッハ、マタイ受難曲、BWV244。鈴木雅明による記念碑的演奏で、合唱メンバーには二期会会員が在籍、何人かが日本のオペラ界で活躍する。最近も二期会会員が在籍している。

 昨日逝去した磯山雅氏による曲目解説を見ると、暖かで抱擁的なお人柄の中にも学者としての厳しい目が光っている。日本音楽学会でお目にかかったり、国立音楽大学図書館に来た際にもご挨拶している。鈴木雅明氏夫人、環さんにも現在の所属教会、日本キリスト改革派東京恩寵教会でお目にかかった折、国立音楽大学図書館へ行ったことなどお話をする。国立音楽大学図書館は日本の音楽大学中、蔵書数では最大、外部への貸し出しも行う。その意味では、磯山雅氏を中心とした音楽学教授陣が作り上げたと言えよう。

 それはさておき、ゲルト・テュルクのエヴァンゲリスト、イエスのペーター・コーイ、ソプラノのナンシー・アージェンタ、カウンターテノールのロビン・ブレイズの歌唱は聴きものである。アージェンタは1991年、発足時のマタイ受難曲での名唱は今でも語り草で、その深さが活きている。合唱も素晴らしい。

 2018年の「マタイ」は3月30日、サントリーホールなどでの公演を予定している。子息、鈴木優人も音楽家としての名を確立、「鈴木優人のマタイ」が現れるのはいつだろう。

 

 

カール・ベーム クリスタ・ルートヴィッヒ ヴィーン楽友協会合唱団 ブラームス アルト・ラプソディー Op.53

 

 ブラームスは大作「ドイツ・レクイエム」Op.45の他に、カンタータ「リナルド」Op.50、「運命の歌」Op.54、「勝利の歌」Op.55、「哀悼歌」Op.82など、声楽とオーケストラのための作品を残している。この「アルト・ラプソディー」はアルト、またはメッツォ・ソプラノ、合唱、オーケストラのための作品で、ゲーテ「冬のハルツの旅」によっている。

 「冬のハルツの旅」はゲーテが青年プレッシングとともに2週間にわたる冬のハルツ山脈の旅の中で生れた。ブラームスがこの作品に取り掛かった1869年、密かに恋していたシューマンの三女ユーリエがイタリア貴族、マルモリット・ディ・ラディカ―ティ伯爵との結婚の知らせを聞き、愕然とした。これが作曲の背景となっている。ゲーテの詩は、人間不信に陥った若者への救いの手を差し伸べた内容で、ブラームスの心を捉えた。ユーリエはマルモリット伯爵との間に2人の子どもを産んだものの、肺結核を患い病弱だったため、3人目の子を宿したまま、この世を去った。ユーリエの子孫は今でも続いている。

 冬のハルツを思わせる暗く、厳しい旋律。独唱が淡々と歌い出す。憎しみ故、救われぬ若者、その苦しみを歌った後、合唱が加わって、神への救いを歌う。クリスタ・ルートヴィッヒの淡々とした歌いぶり、ヴィーン楽友協会合唱団が加わると、救いを求める祈りが伝わって来る。ベームがじっくりとまとめ上げた名演の一つである。

 初演では、独唱はシューマン夫妻と親交があったポーリーヌ・ヴィアルドー=ガルツィアだった。クラーラ・シューマンはこの作品に何を思っただろうか。

 

 

鈴木雅明 バッハ・コレギウム・ジャパン バッハ 教会カンタータ BWV32「慕わしきイエス、焦がれ求める主よ」

 

 鈴木雅明率いるバッハ・コレギウム・ジャパン、バッハ、教会カンタータ全集55巻は、日本のバッハ演奏における一大記念碑である。BWV32「慕わしきイエス、焦がれ求める主よ」はソプラノ、バスのためのコンツェルト形式によるカンタータで、1726年1月13日、主現節(エピファニー)から1週間後の日曜日に初演された。

 東方から、生後2週間後のイエス・キリストを訪ねた3人の博士がイエスと父ヨセフ、母マリアの許を訪れ、没薬・乳香・黄金を携えてやって来た。その後、当時のユダヤ王、ヘロデ大王は、ベツレヘムとその近くの幼子たちを殺す「ヘロデ大王の幼児大虐殺」という残虐行為を犯した。ヨセフ、マリアは幼いイエスを連れてエジプトに逃れた。ヘロデの死後、一家はガリラヤ地方、ナザレに移った。

 このカンタータは、ソプラノがイエスへの信仰を歌い、バスがイエスの声として応答する形式を取る。第1曲では、「ヨハネ受難曲」BWV245のアルトのアリアに使われた音型が聴こえる。第2曲、第3曲は、ルカ福音書第2章第46節、第49節を用いている。これは、イエスが12歳の折、両親とともにエルサレムに詣でた際、ユダヤ教の律法学者たちと議論していたことに基づく。第4曲、第5曲はイエスへの信仰に救われた信徒の魂が真の信仰へと導かれていく様子を見事に歌い上げている。第6曲、ここでコラール「恵みの門を開きたまえ」となって全曲を締めくくる。カンタータで取り上げているコラールは、日本のプロテスタント教会で取り上げてほしいとはいえ、なぜ、取り上げられないかが不思議である。

 ソプラノのレイチェル・ニコルズ、バスのペーター・コーイが素晴らしい歌唱を聴かせている。

 

 

カール・リヒター ミュンヒェン・バッハ管弦楽団 合唱団 バッハ クリスマス・オラトリオ BWV248 その2

 

 カール・リヒター、ミュンヒェン・バッハ管弦楽団、合唱団によるバッハ、クリスマス・オラトリオも新年に入っていく。イエス・キリスト割礼、命名から東方の3博士来訪、ヘロデ大王によるイエス殺害計画挫折、主の勝利を高らかに歌う。

 全体に喜ばしい気分に満ち溢れ、明るく、かつ力強く進み、救い主出現を心から祝う合唱団の歌声が力強く、ドイツのクリスマスを描きだしていく。クラス、ヤノヴィッツの歌唱が素晴らしいし、心に染み入る。ルートヴィッヒ、ヴンダーリッヒも絶品だろう。

 もっとも、ヘロデ大王はエドム人、アラブ人の混血であり、ローマ帝国の後ろ盾で王位を得たことも手伝い、ユダヤ人たちの反感を買っていた。ヘロデ・アンティパスがヘロディアスを王妃とせんとして、それまでの王妃だったナバテアのアレタ王の王女と離婚した際、アレタ王と戦争になった際、ローマの援軍に頼ったほどである。ネロ治世下に起ったユダヤ戦争で、ユダヤをローマに売り渡したことも頷ける。ユダヤ人には売国王家と言えようか。そうした歴史的背景を見ても、イエス降誕に望みをかけたユダヤ人の心情も理解できる。

 リヒターは歴史を踏まえつつ、キリスト降誕の物語を忠実に描きだした名演である。エピファニーでヘロデの陰謀を潰した神の力を力強く歌う。リヒターの残した素晴らしい遺産として残るだろう。

 

 

カール・リヒター ミュンヒェン・バッハ管弦楽団 合唱団 バッハ クリスマス・オラトリオ BWV248 その1

 

 20世紀のバッハ演奏に大きな足跡を残したカール・リヒターは、鈴木雅明、樋口隆一に大きな影響を与えている。その遺産の一つ、バッハ、クリスマス・オラトリオ第1部~第3部を聴く。ソリストはグンドゥラ・ヤノヴィッツ、クリスタ・ルートヴィッヒ、フリッツ・ヴンダーリッヒ、フランツ・クラス、トランペットにモーリス・アンドレ、ヴァイオリンにオットー・ビューヒナー、フルートにパウル・マイゼンを迎えた。

 バッハ合唱団の素朴なまでに力強い合唱は、ドイツのクリスマスに相応しい。36歳で事故死したヴンダーリッヒのエヴァンゲリストが見事で、数少ない遺産だろう。ルードヴィッヒの心に染み入る歌唱も聴きもので、全体を引き締めている。クラスの堂々たる歌唱も忘れ難い。キリスト誕生を伝えるシンフォニアも素晴らしい。ヤノヴィッツも心に訴えていく歌唱が素晴らしい。キリスト降誕を伝える第2部のしみじみとした味わいが印象に残る。羊飼いたちがイエス降誕を祝福する第3部の深々とした表現も捨てがたい。

 ヤノヴィッツの歌唱を聴くと、カラヤンの許で歌うよりリヒター、ベームなどの許で歌った方が本領を発揮しているような気がする。アンドレ、ビューヒナー、マイゼンが華をそえ、クリスマス気分を盛り上げている。リヒターの真摯さが際立った輝きを見せ、クリスマスの本質を伝えている。

 

 

2017/12/1

マルティン・フレーミッヒ ドレースデン十字架合唱団 ドレースデン・フィルハーモニー バッハ クリスマス・オラトリオ BWV248 その2

 マルティン・フレーミッヒ、ドレースデン十字架合唱団、ドレースデン・フィルハーモニーによるバッハ、クリスマス・オラトリオは第4部~第6部、新年に入っていく。イエス・キリストの割礼、東方の三博士がイエスを訪ねて来る。欧米のクリスマスは年末年始をはさんだものとなり、1月6日に三博士がイエスを訪ねるエピファニー(主顕節)でクリスマスが終わる。

 この世に生を受けたイエスを祝福しつつも、後の運命を予見するような面もある。第4部には受難を予見するソプラノのアリアが聴きものである。アリーン・オジェーの歌唱が素晴らしい。ペーター・シュライヤー、テオ・アダムが全体をまとめている。イエス生誕を歓びつつも、時のユダヤ王、ヘロデ大王は幼いイエスを亡き者にせんと悪巧みを巡らす。

第5部ではアンネリーズ・ブルマイスターが暖かみのある歌を聴かせる。また、ソプラノ、アルト、テノールによる3重唱ではカール・ズスケのヴァイオリンが彩を添えていく。ズスケはベルリン・シュターツカペレ、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサート・マスターを務め、弦楽四重奏曲も結成、ベートーヴェン弦楽四重奏曲全集がある。第6部はヘロデ大王の陰謀を打ち破る神の力を讃える。ルートヴィッヒ・ギュットラーのトランぺットが見事である。最後の合唱は「血潮滴る」を基にしながら、ヘロデの陰謀を打ち破った神の勝利を高らかに歌う。

 ドレースデン十字架合唱団の素晴らしい合唱からドイツの素朴なクリスマスが伝わって来る。オジェー、ブルマイスター、シュライヤー、アダムの歌唱の暖かさと相まって、大きな世界を作り出している。また、ズスケ、ギュットラーが彩を添え、味わい深いものにしている。一度は聴くべきだろう。

 

2017/11/30 

マルティン・フレーミッヒ ドレースデン十字架合唱団 ドレースデン・フィルハーモニー バッハ クリスマス・オラトリオ BWV248 その1

 バッハのクリスマスものの作品ではクリスマス・オラトリオ、BWV248、カンタータもいくつかある。ただ、クリスマス・オラトリオはヘンデル「メサイア」HWV56ほどではないことが残念である。

 マルティン・フレーミッヒがドレースデン十字架合唱団、ドレースデン・フィルハーモニーを指揮した演奏は旧東ドイツ時代の録音とはいえ、ドイツのクリスマスに相応しい、素朴さが聴きものである。

 第1部から第3部はイエス・キリスト生誕を力強く、歓びに満ちた歌声、オーケストラで歌い上げていく。キリスト生誕を告げるシンフォニアの静けさに秘めた歓び、そこにはドイツのクリスマスの本質がある。ペーター・シュライヤー、テオ・アダムは無論のこと、アンネリース・ブルマイスター、アリーン・オジェーの心温まる歌唱が素晴らしい。ドイツのクリスマス風景が身近に迫って来る。

 ドレースデン十字架合唱団も素晴らしい。シュライヤー、アダムがこの合唱団で育ったことは重要だろう。ライプツィッヒのトーマス教会合唱団でも育った歌い手たちにも、今日のオペラ、ドイツ・リート界で活躍する人材がいるだろう。

マーク・パドモア、クリストファー・モルトマン グレアム・ジョンソン シューマン 初期の歌曲

 ハイペリオンによるシューマン歌曲全集は、ピアニストのグレアム・ジョンソンを中心にさまざまな歌手たちとの共演による。初期の歌曲はマーク・パドモア、クリストファー・モルトマンである。

 シューマン自身の詩による「憧れ」、「XXXのための歌」、「羊飼いの少年」、バイロン、ケルナー独訳「泣きながら」、ケルナーの詩による「はかない望み」、「希望の歌」、「秋に」、「アンナに1」、「アンナに2」、ヤコビの詩による「思い出」、ゲーテの詩による「漁師」の全11曲。既に、シューマンの音楽の本質が見え隠れする。1840年、「歌の年」の名歌曲に比べると劣るだろう。「漁師」のドラマトゥルギーの生々しさは見事である。   

 「秋に」、「アンナに2」はピアノ・ソナタ、Op.11,Op.22の緩徐楽章、「羊飼いの少年」は間奏曲、Op.4の第4曲に転用している。シューマンのピアノ作品を手掛ける場合、この3曲を自ら歌う必要があるだろう。

 パドモアの情感深い歌唱、ドラマトゥルギーに溢れるモルトマンの歌唱は聴きもので、初期の作品とは言え、シューマンの音楽の魅力に満ちている。

ペーター・シュライヤー、クリストフ・エッシェンバッハ シューマン アイヒェンドルフの詩によるリーダークライス Op.39

 既に引退、伝説のテノールとなったペーター・シュライヤーがクリストフ・エッシェンバッハとの共演によるシューマンのアイヒェンドルフによるリーダークライス、Op.39は今聴いてもみずみずしい魅力にあふれている。1988年の録音、この翌年の1989年、ベルリンの壁は崩れ、1990年の東西ドイツ再統一となる。

 第1曲「異郷にて」のしっとりした味わい、第2曲「間奏曲」、第4曲「静けさ」の深い味わい、第3曲「森での語らい」のローレライに取りつかれた若者、第5曲「月の夜」の素晴らしさ、息をのむような一時である。第6曲「美しい異郷」では迫り来る結婚の予感が聴こえる。第7曲「古城にて」の渋さ、第8曲「異郷にて」の訴えかけるような歌、第9曲「悲しみ」ではうわべだけではないような、複雑な人間の感情、第10曲「黄昏」での人間の裏の顔を示すような歌いぶり、第11曲「森の中で」の描写から第12曲「春の夜」での喜びに満ちた表現は聴きものである。

 1840年、ローベルト・シューマンは大恋愛の末、音楽の師フリードリッヒ・ヴィークの娘でピアニスト、クラーラ・ヴィークと結婚。しかし、ヴィークが2人の結婚に反対した背景には、シューマンの飲酒がライプツィッヒでは有名だった上、たばこがもとで命を落とす寸前だったこと、浪費癖など、シューマンの生活習慣上の問題を熟知していたことによる。その上、フェリックス・メンデルスゾーン、フレデリック・フランソワ・ショパンはシューマンをプロではなく、音楽に関する文章を書くアマチュア音楽家とみていた。そんなシューマンが結婚して家庭を持つことに対するヴィークの懸念もあった。後年、シューマンがデュッセルドルフの音楽監督となったものの、ヴィーク家に住み込んでいた際に罹患した梅毒が原因での精神障害はもとより、完全にプロの音楽家になりきれなかったことにある。

 シューマンもだんだん、プロの音楽家への脱皮を図り、1840年、「歌曲の年」と言うべく、このリーダークライス、Op.39、ハイネのものによるOp.24、ケルナーの詩による歌曲集、Op.35、「女の愛と生涯」Op.42、「詩人の恋」Op.48へと続く。この時期のシューマンの魅力にあふれた演奏の一つだろう。